(10年以上前のからのエッセイ転用です)
そもそもどうしてもMDを買うつもりにならなかった。
なんか、どーもなんだか気持ち悪かったのだ。便利なのに、気持ち悪かったのだ。
パソコンのメディアもよく分からなかった。SDだのコンパクトフラッシュだのスマートメディアだの、メーカーさんが必死になってるのまではわかるんだけど、しらけたんです。すごく。すごく。
デジカメはスマートメディア、外部ストレージはコンパクトフラッシュ。
プリンタはいろんなメディアに対応してても、それはなんだか「豊か」じゃないなあ、とは感じてた。その煩雑さ、っていうのが「豊か」な生活から一番遠いものであるのはみんな分かってると思う。
こうも思う。
コンビニっていうのがこんだけあちこちにあるのは、「便利」なんだけど、そんな、24時間もオープンしてなくちゃ、「不便」な生き方が果たして豊かだろうか、と。
ipodシャッフルは、そのスイッチの少なさに惹かれた。
「ストップ」と「順繰り再生」と「シャッフル再生」の3種類しか操作できない。あとはバッテリチェックくらい。(スイッチの説明なんて書いてもいないよ)
昔の「ラジオ」である。電源と、チューナーしかなかった時代の操作性。
これって便利?
便利かどうかは考えるまでもなく「聞く」には最適!
つまり、「余計なものなんでいりません」って態度がその機械にはありありとうかがえる。
実際ipodシャッフルを買ってきて最初にやるのは「しまいこんでたCDの発掘」なのです。複数の、あちこちに散らばってしまった「自分の趣味」の音楽をひとつに、それもかなり小さく、ライターサイズのipodシャッフルにつっこむ。
ここがすっごく大事に思うんですけど、どんなにすきな音楽でも、日常の生活に支障のある量になってしまってるから、捨てることはできなくても、しまうはめになる。ipodシャッフルはそれを「聞こうぜ。俺に全部入るからね!」って太鼓判をおしてくれる。
それも「好きな曲」の量なんてけっこう絞られるから、私の買った512MBのシャッフルで十分あまるのです。
車でも聞きたい曲ができたのでFMトランスミッター買いました。
考えてみたらお風呂の防滴ラジオにも飛ばしてipodシャッフルです。
首から吊って歩いてると、胸にあたってわずらわしいのでアームバンドも買いました。
ほら。
生活のあちこちに出没させたいアイテムなのです。
ラジカセやパソコン持って歩くわけにはいかないし、そうそう大音量で聞くわけにもいかない時に、シャッフルの出現できる、活躍できる場所は随分たくさんあると思いません?
外部ストレージとしても利用できますけど、音楽のためにみんな使うだろうなあ。
「自分がすでに持っているもの」をハッ!!!!とさせるマシンなのです。
新しいところは、その「小ささ」と「簡単さ」なんでしょうね。
日本のメーカーが長らく忘れてたものがあるような気がします。
生活を潤おわすために、役立つ家電であるべきだったものが、いつのまにやらファンクションキーでいっぱいの、使い方がやたらいっぱいの、携帯みたいな多機能、ってやつに、ホントはみんなへきえきとしていたのだ。
シンプルな生活、が実は一番強力だし、一番長く続くし、くり返すのだ。
私達の生活はいろいろ「持ってしまう」生活なんですけど、おおむねそれを「しまってしまう」生活でもあります。味わったり、使ったりするまでは「しまっている」生活です。
シャッフルはそれを「出そうぜ」って言ってます。そこがすごいマシンです。
アップル、というコンピュータ屋さんがそれをしてるのがまたいいですね。
それは「家電としての欲」ってことよりも「楽しく生きようぜ」って言ってる感じがするんです。ま、ひいきめなんでしょうがね。なんせマック使いなもんで。
実際、最近聞いてなかった音楽をハツラツと聞き返す毎日になってます。
「新しいもののがぶりより」が日常的に起きてる私達の実生活にあって、ipodシャッフルのやってくれてることは「潤い」なんやろうなあ。
