雑な事、言うね 結託していれば、力なのかな | アメブロなpandaheavenブログ

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(10年前あたりからのエッセイです)

 

中国の高速鉄道の件、中東のネット革命の件、ツイッターやミニブログが「世界を変える」と言うけれど、このごろのそうした動きは、私には「不満」が力を持ったように見える。

要求、というほどはっきりしたものでない、輪郭のまま、ちょっと言いよどむような事柄をネット上で流通して、「なんとなく」の不満が、力を放つ所まで、「集積」する仕組みができてきてる印象。

これまで「声なき声」だったものにまで、力を授けた時に、今度は人々の「不満」から発した、負の言霊(ことだま)が、権力的ななにかを駆逐することが増える時代に入った。

某芸能人が、原発反対発言をしたり、特定のテレビ局を非難めいたようにも受け取れそうなツイートをしたことで、事務所を出ることも増えた。ちなみにわたしはこのニュースを読むまでこの二人の名前すら知らなかった。返せば、このニュースでこんにちは、はじめまして、という印象であり、ネット上で発言する事で、今の居所を追われる人たち、としての有名人でしかない。
おおむね、今の芸能界の人の名なんて、そうした印象。スキャンダルめいた時に出てくる時にしか名前を拝めない。それが「誰だったか」すら知らないまま、あるとき、ポンとでてくると、誰彼が言うに言えないでいた「静かなる本音」の代弁者として、「たてまつり」あげられる。

本人の本意は無視され、かいつまんで、ネットの読み手が「そういいきって欲しかった」ことの言葉尻だけをクローズアップして、宣伝される。
ある者はそれに乗っかり、その道を邁進するが、またある者は改ざんされ、ねじ曲げられ、拡大解釈された「まぁたしかに自分の言葉」のワンフレーズに、振り回されるのが嫌になり、沈黙したり、姿を消したりする。

うかつに発言しないほうがマシ、な空気が蔓延してきてる。
無難な言い回しに終始する方がマシ、いやいっそ「黙っておく」ことでしか保身できないケースが増えてきてる。言いたい事のある人は黙り、言いたいほどじゃない人が、愚痴るようにネットに意思が発現する。
結果、責任を持てる人はその意図を慎重に出せる場所を選ぶようになり、場所を選ばずホイホイ発言できる人は、思いつきを連発し、量産し、言いっぱなしの数を、増やす。延々と。

人の不満、なんて程度も具合も違うもの。
それがネット上で発露され、同調者、反発者にさらされ、拡散だのリプだのと、大した思い入れもなくぽんぽんと転送され、こってり料理されてしまう風景は、ある意味魔女狩りっぽいと思う。

「自分の意見じゃないもの」の引用連発、転送連発をして、そんなものに力が備わるとしたらかなり危ないメディアのひとつにもなっちゃいかねない。ボク、私は、そう言ってないけれど、誰かはこう言ってたんだよね、という保険めいた発言。

「便利」で発達してきたメディアは、便利が至上がゆえに、便利じゃないものを駆逐してるし、便利じゃないと、存在価値も見失いかねないことを増やしてる。

この環境下で「しっかり考える」なんてできるだろうか。
自分の意識できる物は「引用まみれ」で、出典もとがどこの、誰の、何かすら解らないまま、ガラクタを詰め込むように「自分に飲み込みやすいもの」だけで構成されていく人間を同時発生的に、量産できる仕組みばかりが、突出して、全世界的に力を持ち始めてる。

エジプトの若者による革命にそれが顕著だ。
若者は確かに革命をしたけれど、その後の組織化ができず、世間は混乱してるさなか、某宗教団体が「組織力」で力を得ようとしてる。

ネット社会の、うすぼんやりとした「不満」の持つ力は、エジプトの若者に似てる。
現状打破、まではたどり着くようになった。壊すまで、だ。
その後は「組織力」をタイトに維持してる、もうちょっと賢い人たちに、壊されたあとをすっかりかすめ取られる。

と、するならば、ネット上の不満、というのは、暴力、なのかもしれない。
暴力をふるっておいて、罰せられない手合いの、ぎりぎりな暴力じゃないかしら。
無自覚だからこそ、連発しちゃうんじゃないだろうか。さんざんにふるまってしまうんじゃないだろうか。「そんなつもりじゃなかった」とあとから言ってみても、解消されない無為さばかりが残る、不毛な力にもなりかねない。

責任は持たないけど、言いたい事は言う。程度の社会参加が表現の自由じゃないと思う。
軽妙さと軽薄さは違うもの。貴方の不満パワー、誰かにいいように使われてません?