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2021年10月28日 18:56
「食事の時間は、他人の小さな変化に気付きやすい。あの人の顔色が悪いんじゃないか、何か悩んでいることがあるんじゃないかといったことです。極地ではそういった微妙な健康状態の変化や気分のムラを早期に発見することが重要なんです。例えば、宇宙船の維持装置のメンテナンスを担うクルーが精神的な不調を抱えていたとして、それを本人が言い出せず、誰にもケアされないまま放置されていたら、酸素の供給機が動きを止めてしまうかもしれないし、水漏れが発生しても対応できないかもしれない。お互いの心身のケアを担うことは、極地を安全に過ごすことにつながるのです」
確かに!うちの母も私からなにか聴き出そうとする時は、食事の時間のフツーの会話の最中に「で、あのこと、どうなってるの?」って不意打ちをしかけてくるもんなあ。
「いまからは明るい気分で過ごす時間」というルールを作っても意思だけで気持ちを切り替えることは難しい。節目をつくるには食事のような「装置」が必要なのだ。
ある。意識じゃシフトチェンジできないことって、結構多い。食事なら「比較的避けにくい」変節に馴染みやすい。なるほど。
「飢餓感が発生するのは、人が『ない』ことに気付いたときなんです。人は一度『ない』と気付くと、冷静に考えれば不要なものまで『絶対に欲しい!』という気持ちになります」
さらに極端な例でいえば、毎日レーションを食べ続けなければいけない状況と、シェフが帯同して食事にバリエーションがあるときの状況を比較すると、シェフが帯同したときのほうが飢餓感のトリガーが生まれやすいという。
「状況に納得さえしていれば食事にバリエーションや贅沢さがなくても飢餓感は生まれにくい。北極圏での滞在時は輸送の困難さからほぼレーションを食べていましたが、クルーは状況に納得していたので不満は出ませんでした。対してシェフがいる滞在では可能性が広がるぶん、飢餓感が生じやすいんです」
言えてる!得心がいってることは、集団生活中のストレスの「発生源」の「予めの、なさ」で浸透するんだ。へえー。
「一度生じてしまった飢餓感は消せません。でも、欲求の矛先を変えることで飢餓感を遠ざけることはできます。例えば、『◯◯を食べたい』という欲求を、『無事に実験を終わらせて安全に帰還したい』という目的に切り替えるといったことです」
国や会社組織とかを運用する人には、この点の再認識があった方がいいかもね。一旦手に入れた、味わったものは「飢餓感」に結びついてるから、思ったより揉めてくんだよね。しかもしつこい。
極地でなくても飢餓感は生じる。コロナ禍になって以来、不確実な時代だから不安だということをよく聞きますが、それも『物事が確実に進む』ことが理想としてあるから。本来は確実なものなんて何もないはずですよね。まず、それに気付くことがいま大切なのかもしれません」
これ、ケッコーケッコーなことだと思いませんか?「貪瞋痴」なる仏教の教える「根源的な欲求」は人間ならではの「創作」みたいな欲求もねじこまれてるもんね。実態として「ない」の認知で済めるものを「済まさせない」にギアチェンジさせちゃってる、人類故の飢餓感。ある意味、人工物だよね。
極限の体験より学び取れるのは、「普段の生活」で無視して済ませられてたものが、顕在化してきて、消え去らなくなる苦痛との闘争、ってことでした。今、全世界的な「普通ってものの変更」が、コロナ禍という社会的な要請から追認の形で強いられつつあります。「これまで」に固執する人ほど、これには面食らい、うなだれることでしょう。
「最大多数の生存」は全世界の全国家に属する人全員の総意にしやすいから、どうしたって「俺は前の通りがいいんだ!」とごねたって、淘汰されちゃうのです。その時に、記事中の実験・体験からの教訓を、広めて認知させといた方が、ごたつきは押さえられるねえ・・・いやはや、生きにくいこってす。へえ。
pandaheavenの持ってるといいもん⭐︎