「犠牲なくして成果なし」
うまい儲け話を期待したり、夢見たりしてもいいけれどその人の周りには人が生きて過ごしているから、そうそう素敵な話があっては、ねたみやそねみが生まれがちだし、その人に相応なものが戻ってくることを人々は期待しているのですからうまくいく人っていうのはやっぱり「相応」と周りの人が認めるものを持つのが一番だと思うのです。
ですから犠牲であるうちは、自分が痛みも味わうし、成果の前には延々と続くのではないだろうかをイブカしんでしまうような自分側の「持ち出し」ばかりが続く期間があります。不安になって来ちゃうんですよね、出してばかりだと。
でもそれを惜しむようなら、そんだけのものが返ります。
惜しむな、とかいってるんじゃなくて、「結果」に期待してる時点で「結果以下」に自らさらしてるということに注意をおくべきでしょう。
必ず成果があるものではないけれど、犠牲を払わないで頂く成果なんてのはやっぱり身に付かないんですよ。愉しみも薄いしね!