ロストロポービッチさんが指揮者小澤征爾さんとのキャラバンで伝えてた表現。
「ためしに鳥の鳴き出す少し前の静けさを考えてみよう。鳴く前だから音はしない。でも独特の気配がある」
「愛しい人に恋の告白をすることを考えてみよう。
(大声で)アナタガ タイヘン スキ デス!!!(ほらね、って顔で)こんなふうにはいわないでしょう?」そういって囁くのだ。
小澤さんとロストロポービッチ氏をテレビでみてて思ったのはああ、自分の好きなものをやってて、あんまりにもその量が多くって、溢れてしまうんだな、と。そしてその量に周りの人がすっかりとりこまれてしまうんだけれど、それがなんとも心地のいいものなんだな、とブラウン管ごしにみえてしまうのだからたまらない。
音楽を知らない人が音楽に触れた時に見せるものに触れることこそ、音楽家として最高の時だ、ともいってた。そこに指揮者の真価がある、と。
真価。
本当の価値。
そこに音楽があることの驚きと今、目の前に生まれているものを受けて、そのまま包まれるという大きさ、そう、やはり「量」なのだ。訳もなく泣けてきてたおじさんとかテレビに写ってた。
感情
そのうちどの感情でいるのか。うれしい、ひとつとってもどの種類の嬉しい!なのか。その彩りの多さ、やはり「量」なのだ。