(これは今や22年前のエッセイです。ですが、今の人に通じる言葉が、当時の私のよって紡がれてるので、心に今、「悲しい」を囲っているみんなは読むべきです。22年前の俺、よくやった)
阪神大震災から4年経つそうである。その人達の話を聞いていて 悲しい気持が伝わってくる。人の人数分の悲しみがあって、5000人を超える人数の命日が同時にやってくる。 戦争世代の人からのコメントで『被災者にはわるいが、戦争のころから くらべたら、現状はまだ幸せなふうに見える』というのがあった。わたしはこうした比較がきらいである。人の悲しみは誰彼とくらべてうんぬんできるものなんかじゃ無いと思う。
日本で「好きな仕事ができない!」と思い悩むことと、食料もままならない 第3世界で「明日の食事はどうしよう」と思い悩むことは、次元が違うに しても、同じくらい本人にツラいことだと思う。本人に、どれだけツラいことなのか?こそが、確かに、本当なのだ。「バタアシ金魚」というまんがのなかで主人公カオルってのが言っていた 「ハラがへるよりツライことだってあるんだぞお!」っていう台詞は 本当だと思う。
思ったようにならないからといって自殺してしまう生き物である「人類」。 今、本人にツラいことが、どうして他人に「そんなくらいじゃ、まだまだ」 なんて言われなくチャならないのだろうか。本人は目下の問題に十分、本当に 苦しんでいるのである。たしかに若いころにいろんな経験した人生の玄人には バカバカしく、ちっぽけな問題に見えてくることがあるかもしれない。
「お前が迷ってるようなことは、1年もすれば、笑ってられるようなことさ!」 などと言えちゃうかもしれない。
でもな、本人がツラがってることは、今、本当なんだから、せめてアナタの ものさしで「そんなことくらい・・・」って言い放つのはやめていただきたい。震災復興を目指して生きている人と、世界の何処かで次の食事を心配する 人と、大好きなあの人といっしょにいられない、って気持の人と、 いったい何が違うっていうんだ!その本人が感じる気持こそ、本当なんだ。僕ら箇々にも悲しみはやってくる。個人的につらいことや、まわりの 事情からつらいことがやってくる。100人いれば100通りの悲しみ が存在するのである。
メシにありつけないツラさも、思いとおりにならないツラさも、今、あなたが 直面する同じ大きさの、あなたの問題なんだから、あなたの生きている世界で 一番大きな問題なのだ。乗り越えていかねば次に進めない、たしかに大きな問題なのだ。
だからあなたがもし、なにかに心乱されていて、迷っていたら、 だれに、そんなふうにいわれたって、胸をはって「いいの!あたしには大問題なの!」といってやれ。やすやすと、そのことについてコメンタリさせたりしちゃいけない。知ったかぶりやら、安普請なアドバイス然とした輩に、 あなたの問題を委ねてはいけない。
迷い、悲しみは、確かにあなたの大問題なのだ。「こんなことで迷ってて・・・」なんてことはないよ。あなたがそこに心ひっかかるんだもの。十分迷うに値することなんだよ。理由がうまくいえないだけなんだよ。そうだ、そうだ。
「比較は理由にならない」・・・・フランスの格言ですが、まったくそのとおり。
あなたが持てた悲しみ、迷いには、あなたの中の、避けて通れぬキーワードがかくれています。自信持ってあたることです。決めるのはあなたなんですから。 あなたが選ぶことこそ、良くも悪くも「ベスト」に違いないです。
マンガは永久保存しといた方がいいよ。あと、映画は見なくてもいいです。