(これは古い古いエッセイです)
『過去2年分の記事を検索 優太ちゃんへ…やなせさんからアンパンマン・グッズ
新潟県中越地震で、土砂崩れ現場から救出された皆川優太ちゃん(2)のもとに、思わぬプレゼントが届いた。色紙と、大きな箱いっぱいの「アンパンマン・グッズ」。
贈り主は、漫画「アンパンマン」の作者、やなせたかしさん(85)だ。幼いころに両親と別れた経験を優太ちゃんに重ね合わせたやなせさんが、優太ちゃんがアンパンマンのファンだと知り、「原作者として何とか励ましたい」という思いを込めた。
10月27日。やなせさんは、東京・新宿区の事務所で食い入るように画面を見つめた。救出現場で、幼い男の子が、生きていることを必死に訴えるようにレスキュー隊員にしがみつく姿を見て、心が震えた。
やなせさんは、優太ちゃんの境遇を思わずにはいられなかった。自分の人生と重ねたからだ。
新聞記者だった父親を5歳の時に亡くし、8歳で母親とも別れて、おじの家に預けられたやなせさん。「お母さんとお姉ちゃんを亡くした優太ちゃんの今後を考えると、つらかった」
やなせさんは、自分の顔を他人に食べさせて助けるアンパンマンのように、これまでにも阪神大震災、台湾地震などの被災者に義援金を送ってきた。優太ちゃんがアンパンマンの大ファンだとニュースで知った時、いても立ってもいられなくなった。
すぐにアンパンマンや、その仲間たちの関連グッズを箱に詰め込んだ。タオル、ぬいぐるみ、トレーナー、毛布、おまる。優太ちゃんが救出された2日後、段ボール一箱を入院先の長岡赤十字病院に発送した。
アンパンマンが描かれた色紙には「優太君へ 元気になってください アンパンマンもついています」とメッセージを添えた。病院にあてた手紙には「ご迷惑かもしれませんが、優太君以外の子どもたちにも分けてあげてください」と記した。
やなせさんは「優太ちゃんは、これから母と姉の死という厳しい現実に直面するけれど、乗り越えて強く生きてほしい」と話している。
プレゼントを受け取った優太ちゃんの父、学さん(37)は「優太は病院でもいつもアンパンマンのビデオを見ています。プレゼントに大喜びしており、やなせさんには感謝しています」と話している。
(読売新聞) - 11月2日16時55分更新』
以上、インタネット上で公表されていた文章の引用です。
なんか、なんか、なんかやなせ先生のほとばしる気持ちを見たような気がする文章だ。
そして、「つくりもの」というのは人の心を元気にすることのできるものだと真剣に信じたくなる。
以前に毒蝮三太夫さんの「演じる」ことの素敵さを「ひとこと」のページに書いたけど、そんじょそこいらの「バラエティ」とか「ニュース」とか「映画」なんかじゃ得られない人間味のある、本来もっと放映すべきものを、テレビもラジオもメディアも忘れてるような気がしてたんだ。
「やなせさんは立派だ!」とか「正義だ」とかいう次元でとらえたくないんです。
これは、やなせ先生の内面で押さえの効かなかった感情の話しなんだと思う。
立派でも凄くも偉くもなく、これは、ただ、ひとりの人間として「琴線に触れた」ものを我慢できなくなって、実行したっていう次元の話なんだと思う。
そんでいいと思う。
わたしたちの生きざまのいくつかは、こうであって欲しいな、ってものが、やなせ先生にはそのまますんなりでていらっしゃったのが、すごくうれしかった。
(当時)小泉首相がした決断によって「日本人一人」をみすみす殺させてしまった日本って国は悲しい国かも知れない。震災があっても国が助けることはほとんどないと思う。
つくづく嫌になるニュースたちの中にあって、やなせさんの見せたパッション溢れる個人の気持ちが、とてもまぶしく見えた。
優太ちゃんが将来直面する悲しい事実というのは、人がどこかで誰もが一度は感じる「どうにもならないものに対峙するときの気持ち」として予感も想像もできる。
その大きさやショックの前に、どんな贈り物も、どんな慰めも、どんな配慮も消し飛んでしまうくらい非力なものなのかもしれない。
そんでも、
そんでもさ、
なんにもしないでいられないのよ、人って。
何歳だとか、どこの誰とかじゃなくってさ、ひとつ、ちょこんとどっこい立ってる、たったひとり、っていうのを隠したりも、みせびらかしたりもせずに、ただ、立つ、という凛々しさが、
この話にはあると思う。それが、それがもう、大好きでね。大好きなんですよ、こういうの。
だって、やなせ先生と優太ちゃん、人間のサイズが、なんだか、一緒なんだもん。
対等でしょ?姿勢が。大人と子供、ですらない。人と人、でしかないもん。
すごいな、やなせ先生。前からすごいと思ってたけど、イカス人だ!