戦争が終わって75年経ちましたね | アメブロなpandaheavenブログ

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終戦「今の平和は夢のよう」#Yahooニュース

 
お国のために、みんなで一斉に過ごしていた時代。政体としての「お国」はなくなり、米国に占領された時期を経て新しい国になった日本。「お国のため」を号令した人は、どなただったんでしょう。そのときには、正しい考え方であったことを、今の時代から「おかしい」とかいうのも、なんだか違うと思うのです。
 
お国のために、命も捧げた時代は、75年前に終わっていますが、ほんの76年前にはまだ「お国のため」でした。
75歳までの人は「戦争があったらしい」ですし、76歳以上の方は「戦争の中で過ごしてきた」方々です。ご存命の方々と、私たちはまだ戦前戦後を体感してきた人々と同じ時間に過ごせているのです。軽々に「戦後だし」で済ませられない生き方のさなかにも立っています。
 
私は日本人の心には、まだこの「お国のため」みたいな「みんなでなんとかしよう」という気持ちはあると思っています。思いやりの気持ちとしては尊いのですが、こうした「団体意識」で私自身はいくつか取り戻せないものも体験しました。集団行動や正義漢に基づいた号令には近づきたくもないのです。
 

 

今の時代に以降でも「みんなが困ってる・・・・お国のために」は再燃できる素地があるのでしょう。利他の気持ちとしては大変優れておりますが、個人の尊厳の破壊に、歯止めの利かせ方がないうちは、戦争時に似た乱暴もまたはびこる事でしょう。

 

戦時に邪魔な民間人が戦車の前にいた時に「轢き殺していけ!」と号令したという話が本当のものかどうかは知りませんが、私の印象の中の残虐さはこの言葉に出てると思います。「勝つために、殺せる」のは、どうにも不幸です。殺す側も、殺される側も。

 

経済格差の解消やうやむやさ、ガス抜きなどを経由してでも戦争は発端となり得ます。ある意味「うやむやさをまかり通す」ような雑な仕上げ方です。人の智慧が易々とこれに負け続ける現実、その歴史が、止まる事は念じる他ないのでしょうか。