十数年前、母親が自ら命を絶ってからずっと、現実が受け入れられないまま時間だけが通りすぎていました。
朝起きて、顔を洗って、掃除して、家族の朝ご飯を作って、仕事へ行って、買い物して帰って、家族の夕ご飯を作って、お風呂に入って、寝る。
日課はこなせていても、心だけはどこかへ置き去りのままで、ずっと暗闇の中で、どこへ向かえば良いのか途方に暮れている感じでした。
誰かに朝までずっと話を聞いてほしいけど、こんなに暗く、とりとめのない話を聞かせるのは迷惑だろうな。
そうやって自分だけが耐えているようなつもりでいたけれど、家族(元夫と義父母)はもっと耐えていたのかもしれません。
元夫は他の女性に安らぎを求め、義父母は陰で「嫁の母親が自殺だなんて、うちの看板に傷がつく」と言っていました。
母が自殺したことも、私が暗く沈んでいる姿を見せることも、全て責められているように感じました。
家族がいるのに、孤独でした。
それでも、離婚したら、結婚をすすめてくれた実家の祖母が悲しむと思い、できませんでした。
精神科に通い始めた当時の母もきっと、いまの私と同じような思いを抱え、悩み、苦しんでいたのかもしれないと思いました。
なぜなら母は嫁いでからずっと『嫁いびり』に遭っていたからです。
私が結婚し、実家を出たことで、母は広い家の中に祖母と2人きりになる時間が増えました。
それに加えて、糖尿病が悪化し、視力が低下したことで、外出もままならなかったため、ますます家の中に閉じこもる時間が長くなりました。
父は仕事や接待で忙しく、家庭を顧みる時間が殆どありませんでした。
私は母とメールのやり取りはしていましたが、母の心の叫びに気付くことができませんでした。
母が亡くなる前日には電話で話もしたのに、全く気付くことができませんでした。
母が亡くなって数ヵ月経ち、実家へ用事があって帰った時のこと。
母の仏前に座る私に、祖母は尋ねました。
「○○(母)が死んだのは、私のせいじゃないよね?」と。
一瞬で私の心が凍りついた感覚がしました。
嫁いびりしていた自覚があるからこそ、そう言ったのだろうと思いました。
でも、嫁が亡くなって悲しい、辛い、ではなく、『嫁が自殺したのは自分のせいではない』ことを確かめるほうが、祖母にとっては大事だったのかと、やるせない思いがしました。
その祖母の一言で、私がそれまで祖母のためにと思ってやってきたことが崩壊しました。
でも、祖母はこれから何年生きるのかわからないけれど、母に恨まれているかもしれないという思いを抱えさせてはいけないと、咄嗟に思いました。
だから「おばあちゃんは何も悪くないよ。病気のせいだよ」と返しました。
そう返した私の心の中で、何かが変わりました。
それから数年後、私は離婚しました。
私にとって離婚は、祖母からも、元夫や義両親からも解放され、生まれ変わってゼロから始めるような感覚でした。
離婚後、一人で迎えた静かな朝、仕事に向かう車中から見える、澄みきった青空が本当に綺麗で、窓を開けて何度も深呼吸しました。
あの日、車の中で聞いていた曲は、今でも私の心を元気づけてくれます。
その曲を聞くと、心の中にいつでもあの澄みきった青空と清らかな風の香りがよみがえります。
倉木麻衣さんの曲です。
あの日、倉木麻衣さんの繊細で清らかな歌声が、私の背中を押してくれました。