4年。 | maruko日記

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くうねる遊ぶ。そして娘たちとの日々。

今日は朝起きたら雪が降っていました。
4年前も地震の後から雪が降り始めたなぁ…って朝ごはん食べながら思い出していました。

















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4年前まだ赤ちゃんだったりんごさんは、地震のことを全く覚えていません。
なので、地震の時に食器が落ちて付いた床の傷を「なんでここ汚れてるのー?」と聞いてきたり、地震の後のめちゃくちゃな家の中で懐中電灯の明かりだけでご飯を食べている写真を不思議そうに眺めていたり…。
地震のことをちゃんと伝えたいとは思っているけど、地震のことを覚えていなくて良かったというのが正直な気持ちです。大人でも怖かったから小さい子たちはもっともっと怖かったよね…。














赤ちゃん連れての地震後の生活。
夫が仕事柄、しばらく家へは戻ってこられないだろうと思っていたので、初めはどうしたらいいものか途方にくれました。
その頃夜泣き全盛期だったりんごさんを連れて、知り合いの全くいない避難所の体育館へ行く勇気も無くて、物が散乱する家にラジオを片手に留まっていました。
どんどん寒くなる中、りんごさんだけが心配で心配だったあの夜。
でもりんごさんはにこにこ笑っていて、りんごさんにとても救われた夜。
























あの日以来我が家が心がけていること。

・車のガソリンは常にメーターの半分以上にしておく。

・車に娘たちの非常用リュックを常備。
出先で地震にあってもいいように、震災後から用 意するようになりました。 オムツ、着替え、赤ちゃん用水、缶詰めのパン、ウエットティッシュ、レトルト離乳食、タオルなどが入ってます。

・家に保存食と水を常備。
子供用のレトルトカレーとか、真空パックのお餅 とか。レトルトのご飯は賞味期限が短い物が多くて、何度も無駄にしてしまいました 汗。お餅の方が賞味期限が長いし、りんごさんがお餅好きなので今はお餅を常備。その他の物も大人よりも娘が好きそうな物を中心に用意しています。

・オムツ、ミルクを常に多めに買っておく。

・冷凍庫には常に肉を冷凍。
冷凍しておけば電気が止まってもしばらくは大丈夫だったので。

・余震が怖くて&娘に危なくてろうそくはほとんど役に立たなかったので、100均なんかで売っている電池式のキャンドル(伝わります?汗)が役立ちました。寝る時にちょうどいい明るさで。
なので、それも常備。

・乾電池も切らさない。

今のところ思い出せるのはこのくらいかな。
きっちり準備しようと思うと挫折してしまいそうなのでゆる~く自分たちで出来る範囲でやってます。
















4年前は家の中で地震にあったので、なんとなく安全な場所はここかな?と自分でも驚くくらい冷静に避難できましたが、その後、仙台駅のホームにいたときに大きめの地震にあった時は、どこが安全なのか全くわからなくて娘抱っこしながら右往左往してしまいました 汗。
電光掲示板がブンブン揺れていて怖かった…。
日頃からどこにいても冷静に安全な場所へ避難出来るようにしておかなければ!





















4年で赤ちゃんだったりんごさんはお姉ちゃんになりました。凄い成長。
でも、夫の実家の周りは4年も経ったの…?と思ってしまうくらい少ししか変わっていません。
まだまだこれからです。
色々わかるようになってきたりんごさん。
おじいちゃんの家の周りに何もないことテレビで流れる津波の映像が気になってきたようで、あれはなに?これはどうして?と聞いてくることが多くてなってきました。
その問いかけに丁寧に分かりやすく震災のことを伝えていけたらいいなと思います。
大切な命がたくさん失われたことも。























4年前に割れてしまったと諦めていたお皿が…なんと!出てきました!
4年ぶりの再会!
なにがどうなってそこに入ったのかは謎ですが、ペーパーナプキンをしまっていた引き出しからひょっこりと出てきました。
大好きなお皿だったのでとても嬉しい!!
二枚も出てきた!
これからも大切に大切に使おうと思います。

























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地震とは全く関係ない話。
確定申告やっと終わったーーーーー!
どれくらい戻ってくるのかわからないけどもう今年だけでいいかも 汗。
小さい子連れての確定申告大変。
へとへとです。