黄 昏 ハ ン ド メ イ ド 。 -2ページ目

黄 昏 ハ ン ド メ イ ド 。

耕 せ ば ま た よ み が え る 星 だ か ら ぼ く ら は 両 手 を も っ て 生 ま れ た

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「オマールの壁」

原題:OMAR
公開:2013年
製作国:パレスチナ
監督:ハニ・アブ・アサド
脚本:ハニ・アブ・アサド
出演:アダム・バクリ
         リーム・リューバニ
         ワリード・ズエイター


分断されたパレスチナで、壁を越えて恋人に会いに行く青年の、悲しい運命を描いた物語。


2005年に公開された「パラダイス・ナウ」は、私にとって衝撃的な作品だった。

遠い国の出来事としてしか捉えていなかった自爆テロ。

彼らと自分とを隔てる壁や距離や言葉を、一気に崩された映画だった。

パレスチナの現状を描きながらも、あくまでも人間に焦点を当てる。

その描き方は「オマールの壁」でも変わっていない。


本作の舞台は壁で分断されたパレスチナだ。

一般的に分離壁はイスラエルとパレスチナを隔てるものという認識があるが、その壁はパレスチナにくい込んでいる。

そのため主人公のオマールは、恋人に会うため壁を越えなくてはならない。

8mに及ぶ高さの壁を、頼りない1本のロープで上る。監視するイスラエル兵もいる。まさに命がけだ。

オマールをそこまでさせるのは愛だ。彼は愛する人のため、何度も壁を上る。

たまたま愛するとの間に壁があった。それだけなのだ。


しかし彼の前に立ちはだかっている壁は分離壁だけではなかった。

様々な壁を傷だらけになりながら乗り越え続けたオマールは、最後に大きな決断をする。

そこにはやはり距離や言葉は存在しない。

人と人として、オマールの決断に何かを感じられるはずだ。


ラストシーンの解釈は誰かと話し合いたくなる。

きっとそういう作業が、壁や距離や言葉を壊していくのだと思う。




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「ある過去の行方」

原題:Le passé
公開:2013年
製作国:フランス、イタリア、イラン
監督:アスガー・ファルハディ
脚本:アスガー・ファルハディ
出演:ベレニス・ベジョ
         タハール・ラヒム
         アリ・モサファ


正式な離婚手続きのため4年ぶりに再会した夫婦を中心に、絡み合う人間模様と秘められた過去を探る物語。


映画はパリの空港に降り立った男性と、彼を迎えに来た女性の出会いから始まる。

お互いを見つけ歩み寄り、会話をしようとするが、ガラスに遮られ声が聞こえない。

そしてその声は、観客にも届かない。


ファルハディ監督の作品において、観客が神の視点になることは無い。

見えないものは見えない。聞こえないものは聞こえない。分からないものは分からないままだ。

彼らの過去は、彼らの会話からこぼれ落ちてくる。

観客はそれを、見失わないように丁寧に受け止めていく。


その作業はとてもサスペンス的ではあるが、ファルハディが一貫して描くのは、人間の奥底にある感情の揺れだ。

その揺れが起こす波紋や、空気の振動までもが閉じ込められ、静かに伝わってくる。

それは時に醜く、時に悲しいが、何故か美しいと感じてしまう映像の力がある。

そして浮かび上がるのは、大人たちに振り回される子どもたちの存在。

ファルハディは常にそんな子どもたちに寄り添っている。


最初に夫婦が中心であると書いたが、軸となっているのは実はこの夫婦ではない。

何も語らない、語ることの出来ない人物が軸となっている。

その人物だけが知る過去に、すべての人は振り回されているのだ。

そんな何も語らなかった人物が、最後に少しだけ、感情の揺れを見せる。

その美しさに、鳥肌がたった。




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「リトル・ダンサー」

原題:BILLY ELLIOT
公開:2000年
製作国:イギリス
監督:スティーヴン・ダルドリー
脚本:リー・ホール
出演:ジェイミー・ベル
         ジュリー・ウォルターズ
         アダム・クーパー


女はバレエ。男はボクシング。そう決めつけられた時代に、バレエダンサーを目指したひとりの少年の物語。


演出家として100本以上の舞台を手がけ、トニー賞を2度受賞しているスティーブン・ダルドリーの初映画監督作品。

舞台のライブ感を見事に映画の中に取り込み、分かりやすいストーリーと名曲の数々、そしてジェイミー・ベル少年に魅了された111分だった。


1984年、イギリスにある炭鉱の町ダーラム。

音楽に合わせて踊ることが大好きな少年ビリーは、ある日ボクシング教室で偶然バレエを踊る女の子たちを目にする。

そして彼の才能を見抜いたバレエ講師のウィルキンソン夫人によって、ビリーはバレエダンサーへの道を歩み始める。


1984年といえば、当時の首相サッチャーが赤字だった炭鉱を閉鎖する計画を断行し、それに反対する炭鉱労働組合が大規模なストライキを起こした年だ。

炭鉱労働者の中でも反対派と推進派に別れ、スト破りをして働こうとする者に対し、脅迫や暴力が横行していた。


ビリーがバレエに出会ったのはそんな時代だった。

炭鉱で生まれた男の子は炭鉱で働く。それが当たり前。それ以外の将来、ましてバレエなんてとんでもない。そういう時代だ。

しかしビリーには才能があった。そしてそれを見抜いた人物がいた。何よりビリーには「踊りたい」という純粋で何よりも熱い衝動があった。


彼の言葉は、彼の感情は、全て踊りとなって放出される。

これほどまでに自分を表現する方法を持っていることが、羨ましいと思うくらいに。

そしてその言葉のように滑らかで、感情のようにまっすぐな踊りを、ジェイミー・ベルが見事に表現している。

彼の存在を監督が見つけたことが、この映画の奇跡だ。


父親と兄それぞれの葛藤と、ビリーへの思いには涙が止まらなかった。

もちろんラストシーンは素晴らしかったが、はっきり言ってビリーが成功するしないは関係ない。

これは成功の物語ではなく、成長の物語なのだ。


好きなことをしたいと思って生きてきたし、子どもにも好きなことをしてほしいと思って生きてきた。

でも生きれば生きるほど、その単純なことの難しさを思い知る。

それでも、やっぱりその単純で純粋な思いほど美しいものはない。

その美しさを改めて感じ、大切にしたいと思える映画だった。