
我が実家には門限ありました。
神田から三代続く商売人の娘、
自分の存在を恨むこともありました。
男子でないから跡継ぎでないのに、
なぜこんなに箱入り娘なのか…と。
学校終わったら即刻帰宅。
時間なんて関係ありません
門限破ったことのない私。
門限破っても叱責されなかった妹。
部活動すら自由にやらせてもらえず
隠れて陸上や吹奏楽をしてた私。
(駅伝で椎間板ヘルニアになりバレました)
やりたい部活を転々と変え自由だった妹。
21歳で産んで育ててくれた母。
若くして厳格な両親でした。
やりたい部活を転々と変え自由だった妹。
21歳で産んで育ててくれた母。
若くして厳格な両親でした。
中学、高校、大学生時代…
今や懐かしい自宅の黒電話☎︎に電話がかかってくると、父が真っ先に出ます。
「○○○は居ません。」
男女問わず、勝手に切ります。
男性の友人なら1秒で抹殺
女性の友人でも3秒で遮断…
学校からの連絡も、
友人からの大学連絡網も、
遮断され、不便を強いられました。
母なら繋いでくれましたが、
電話で少し話してると、
途中で父が勝手に切ります。
妹には自由で、私には異常に厳格な父。
これは酷いですよね…
信用されてない自分に悲しさを覚えました。

少し自由が許可されたのは、
大学生の講義終了後のアルバイト。
平日は塾講師のみ。
土日祝日は昼間のアルバイトのみ。
無駄な負けん気から単位を沢山取り

少し自由が許可されたのは、
大学生の講義終了後のアルバイト。
平日は塾講師のみ。
土日祝日は昼間のアルバイトのみ。
無駄な負けん気から単位を沢山取り
忙しい大学生でしたから
私も納得してました。
サークル反対の両親。
コンパや合コンも嫌いな私。
私も納得してました。
サークル反対の両親。
コンパや合コンも嫌いな私。
(友人にランチと誘われ行ったら合コンと判明、
啖呵切って帰った残念な江戸っ子です
)
同じ友人に恵まれたおかげで、
サークル無しの
勉強とアルバイトで充実した大学時代。
今でも大切な親友に出会えました。
私の父に電話を切られても、
親友で居てくれた愛すべき友人たち。
父のことを正直に話したら、みんな笑って許してくれた無限に心の広い素敵な人達です。
当時アルバイト許されなかった
名家の大学友人もいましたから…
それでも、その彼女は
キラキラした毎日を送ってました。
生き方は本人次第なんだと知りました。

就職後は仕事終わったら即刻帰宅が当然。
無言でも両親の意向なのは承知でした。
ただでさえ残業が多い職場、
気づけば真夜中も当たり前でしたから。
疲れてるのに真夜中の夕食の支度をして
待っててくれた母。
辛い想いを沢山させてしまいました。
泣きながら
母の手作り夕食を食べた想い出ばかりです。

ある日、
仕事帰り同僚とゴハンが楽しくて
連絡すれば帰宅命令が分かってて。
でも遅くなって連絡しずらくなり、
無断で夜中に帰ったら…
真っ暗な家で母1人起きて待ってました。
「連絡がないから車の事故ではないと思ってたよ。」
その時に、猛烈な申し訳なさと後悔と悲しみが
私を襲いました。
その後も、残業ばかり。
自営業と家事で疲れてる母が寝ずに待つ自宅に帰り辛くなり、独り暮らしを始めたのでした。
真っ暗な自宅に帰る毎日。

就職後は仕事終わったら即刻帰宅が当然。
無言でも両親の意向なのは承知でした。
ただでさえ残業が多い職場、
気づけば真夜中も当たり前でしたから。
疲れてるのに真夜中の夕食の支度をして
待っててくれた母。
辛い想いを沢山させてしまいました。
泣きながら
母の手作り夕食を食べた想い出ばかりです。

ある日、
仕事帰り同僚とゴハンが楽しくて
連絡すれば帰宅命令が分かってて。
でも遅くなって連絡しずらくなり、
無断で夜中に帰ったら…
真っ暗な家で母1人起きて待ってました。
「連絡がないから車の事故ではないと思ってたよ。」
その時に、猛烈な申し訳なさと後悔と悲しみが
私を襲いました。
その後も、残業ばかり。
自営業と家事で疲れてる母が寝ずに待つ自宅に帰り辛くなり、独り暮らしを始めたのでした。
真っ暗な自宅に帰る毎日。
真夜中に響く鍵の音。
自由に鼓舞したのは最初の数日でした。
日に日に自由より寂しさが募りました。
その時になって初めて、
家で待ってくれる母の気持ちを悟りました。
大切に想ってくれてありがとう…
厳しく育ててくれてありがとう…
日に日に自由より寂しさが募りました。
その時になって初めて、
家で待ってくれる母の気持ちを悟りました。
大切に想ってくれてありがとう…
厳しく育ててくれてありがとう…
