生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -2ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



前回の続きだ。

令和7年7月20日に行われた『第27回参

議院議員選挙』の結果は与党の過半数割れで

終わり、参政党や日本保守党の躍進、そして

チームみらいの登場が目に止まったと言えよ

う。私自身は、今や特定の支持政党はなく、

自民党から無所属連合、チームみらいまで、

それぞれの政党が掲げる政策に是々非々で賛

同するスタンスである。


同時に、昨今はインターネット等で立候補者

や政党への言われなき誹謗中傷、殺害予告等

で喧囂する中、それでも名前と顔を出して日

本の将来を憂い立て直そうと選挙運動をする

その決意と姿は、当該立候補者の主義主張は

別にしても敬意を持つ。私はそこに、その立

候補者の人生、生き方が垣間見える。そう考

えると私などは愚昧に落ちた拙い人間に思え

て来る。


立候補者の思想は、生まれた時から保守でも

リベラルでもない。その歩みの中で様々な人

間と出会い、縁をしながら自身の思想を組立

てている。従って、どんな環境下、タイミン

グで自分の居場所を確保するかが政治的なス

タンス、価値観を基礎づくり、左右する要素

になるのではなかろうか。


そして、その共通する価値観の者同士が集団

を形成するのだ。私なんかは様々な人間の感

情に疲れてしまい、組織の規模が大きくなる

ほど自分の本音、感情と乖離していき居場所

を失い彷徨う感じになる。


勿論、立候補者の打算や思惑もあろう。矯激

な行動をする政党、立候補者もいて社会から

非難されて然るべきとされる人物もいるとは

思う。しかしながら、少なくとも私よりはマ

シな生き方だと思う。何故なら、たとえ政治

的権力を得て利権を発動したとしても、その

利権によって一部の国民には恩恵があるから

だ。と同時に、不幸や不利益を被る国民もい

るのも確かだ。


いずれにしても、全ての国民が一斉に幸福に

なったり、逆に不幸になるわけではなく、そ

の時々でその政策がその人物の置かれた環境

で善にも悪にもなるのだ。


理想は全ての国民が等しく幸福になることな

のだが、人それぞれが置かれた事情は異なる

のだから、均一な幸せは不可能だ。そこに政

治の限界がある。但し、政治が希望や光を充

てる対象はあくまでも人生に困っている人々

、悲しい現実に直面している『国民』であっ

て欲しい。


従って、政治はバランス感覚が大事だ。現・

野党が大勝ちしたとしても、一致する一つの

政策すらまとまらないならば、それは不幸に

なる国民を増やす結果となるので、今の自公

政権と何ら変わらない。


そんな中、私は今回の参議院議員選挙のうち

、比例代表選挙について関心を抱いた。私は

これまでも選挙には毎回行っていたが、単に

投票用紙に名前や政党名を書いて投票箱に入

れてオシマイだった。比例代表選挙の仕組み

さえ知らない有権者であった。但し、参議院

の比例代表と衆議院の比例代表とは少し異な

るので注意が必要になる。よく「比例第〇位

」と言う呼び方をするが、これは衆議院比例

代表選挙の時だけである。



ドント方式なる言葉は選挙の都度聞いたこと

があっても、それが何なのかさえ特別興味も

ない。だが、ここに来て、比例得票数がその

政党の議席数に直結していることを知ったの

だ。


ここで少し詳しく書いておく。

別にこれを読んでくれる人に向けてと言うよ

りも、私自身が忘れない為にである。先ず、

参議院の比例(全国区)の場合、投票用紙に

は比例で立候補している候補者の名前を書く

のが原則だ。又は政党名でも良い。


(東京新聞インターネット記事から)

この比例用紙に書いた立候補者名と政党名を

合わせた票数が政党の「総得票数」となる。

参議院選挙は3年に一度、議員数の半分ずつ

が改選となる。参議院比例代表選からの選出

議員は合計100人なので、その半分50人

が今回の議席数となる。


ここで頭がゴチャゴチャするのが立候補者名

(個人名)の得票数が高い順に50人当選さ

せるのかと思われるが、そうではなく、先ず

は各政党に幾つ議席の配分するかが優先され

る。これが『ドント方式』である。


例えば、仮に立候補者名(個人名)の得票数

が高い順に50人当選させるとしたら、NH

K党から比例で立候補した「浜田聡氏」はベ

スト10中、第7位の33万5462票を獲

得したので当選するはずである。しかし、浜

田聡氏は落選した。そこに比例代表選挙の分

かりづらさがあるのだ。


(よろず〜 ネット記事から)

そこで無知な私はドント方式の『謎』につい

て調べて見た。先ずやることは各政党に配分

される議席数である。自民党、立憲民主党、

国民民主党・・・と総得票数を書き出し、浜

田聡氏が所属するNHK党の総得票数まで横

一列目に並べる。


次に、その総得票数から

➗️1

で計算して下段横一列に書き出していく。続

けて更に下段に

➗️2

➗️3

➗️4

と計算する。今回は自民党の12議席が最多

なので➗️12まで行った。それが下の表だ。



次に、この数字の高い順に1〜50まで付け

る。すると、縦列で最多なのが自民党の12

議席、次に立憲民主党、国民民主党、参政党

の7議席であった。それが下の表になる。



更に把握しなければならないことは、今回、

自民党とれいわ新選組がそれぞれ『特定枠』

を設けているので、その場合はそれを含めて

、自民党の12議席のうち

➗️1(1議席目)

➗️2(5議席目)

が舞立昇治氏、福山守氏が入り、れいわ新選

組の3議席のうち

➗️1(9議席目)

に伊勢崎賢治氏が入る。


この特定枠を除いた議席数で、比例用紙に書

かれた立候補者名(個人名)の得票が高い人

から当選するのである。従って、浜田聡氏の

個人票が7番目に多かったとしても、NHK

党の総得票数(68万2626票)が少ない

ので当選しなかったのだ。


逆に政党の総得票数が151万7890票の

チームみらいは、

➗️1(31議席目)

で安野貴博氏が1人当選した。これがカラク

リである。今回、50議席目が

➗️7

で立憲民主党の計算値105万6779だっ

た。従って、計算値105万6778以下は

議席にならないのだ。


(讀賣新聞 令和7年7月22日付から)

こうして、先ずは政党の総得票数から議席数

を割り出した上で、次に特定枠があれば上位

から当選させ、残りの議席を立候補者名の多

い人から当選させるのである。例えば、日本

保守党の北村晴男氏の個人票は97万512

2票で、2位の自民党、犬童周作氏の48万

2058票を大きく上回った。今回の比例の

候補者個人票では北村晴男氏がダントツのト

ップだった。従って、日本保守党の2議席で

先ず当選するのは北村晴男氏で、次に百田尚

樹氏の12万8863票(議席数32番目)

が当選者となる。


(日テレNEWS記事から)


このドント方式、ベルギーのシステムを参考

にしたらしいが、実に分かりづらい。しかし

、一度理解すれば「なるほど」となる。


また、47都道府県で各政党の比例得票が多

かったのは以下の通り。


〇自民党

秋田県、鳥取県、島根県

〇立憲民主党

岩手県、新潟県

〇国民民主党

愛知県、香川県

〇公明党

和歌山県、愛媛県

〇維新

滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県

〇参政党

茨城県、群馬県、石川県、和歌山県、愛媛県

、福岡県、鹿児島県

〇日本共産党

東京都、長野県、京都府

〇れいわ新選組

宮城県、沖縄県

〇日本保守党

東京都、愛知県、福岡県

〇社民党

沖縄県

〇チームみらい

東京都、千葉県 


 今日はこの辺でやめておこう。




第27回参議院議員選挙の投票(令和7年7

月20日)に行われ、

〇選挙区75議席(通常74議席)

〇比例代表50議席

が今回の定数で、色々な主義主張の政党等に

所属する人間が選挙を経て参議院議員として

仕事をする。



衆議院議員(定数465人)と異なるのは、衆

議院の場合は総理大臣が、

「衆議院を解散する❗」

と言えば、衆議院の議員達ちは直近でまた選

挙をやらねばならず、原則4年の任期を待た

ず一斉に465人が職を失う場合があるのだ

が、参議院議員はキッチリと6年の任期を全

うすることが出来る。逆を言えば、一度選挙

に当選したら6年間は安泰である。


例えば2期(2回選挙で当選)務めれば12年

間は税金で生活が保証されるのだ。また、参

議院議員選挙は一度に248人の選挙を行う

のではなく、半分ずつ(124議席)2回に分

けて選挙をやる。今回は125議席となって

いる。従って、今回の選挙は第25回参議院

議員選挙(令和元年7月21日)で当選した議

員の任期満了に伴うものである。1人増えて

いるのは東京選挙区での補充によるもので、

通常6人の定数が今回のみ7人となったから

である。但し、7位で当選した立憲民主党の

塩村あやか氏の任期は3年である。


(産経新聞から 立憲民主党 塩村あやか氏)


衆議院と参議院の仕組みも若干異なるが、い

ずれも選挙区、それぞれの地域から出る人と

比例代表全国区に区分して行われ、有権者は

順次2枚の投票用紙を渡され、選挙区ではそ

の地域から立候補した個人名を書き、比例代

表は衆議院の場合は政党名を、参議院の場合

は政党名又は個人名を書く。特に参議院比例

代表選挙では、予め定数が100人と決まっ

ている。この100人を各政党に振り分けて

いくが、半分ずつなので50人が比例定数と

なる。


(参議院比例代表選出議員選挙広報)

先ずどの政党に何人当選させるかを決めるこ

とになる。それが「ドント方式」と言うベル

ギーでやっている方法を日本でも採用してい

る。その中で比例投票用紙に書かれた個人名

のうち、得票数の多かった人から順に当選さ

せる。これが衆議院の比例代表の場合、個人

名の得票数ではなく、政党側が当選させたい

立候補者を第1位から順番に決める。


従って、衆議院の比例代表では当選者は得票

数に左右されないのである。また、個人名を

書いてもその立候補者所属の政党得票数にカ

ウントされる。私はこのドント方式なる方法

を複雑だと思い、理解していなかった。理解

しなくても私自身、何ら問題ないからだ。


しかし、知ることで各政党の思惑も推察出来

る。特に衆議院の比例代表では良く分かる。

何故、その人物が比例第1位なのか?また、

れいわ新選組が良くやっている

「特定枠」

と言う制度もある。特定枠と言うのは、参議

院の比例代表で行われる制度で、早い話し、

得票数に関係なくその政党が最優先で当選さ

せたい人物のことである。要は、得票数は難

しいかも知れないが、専門分野で特筆すべき

知見や経験、余人をもって代えがたい人物を

国会議員にしたいと思う政党が使う手段であ

る。但し、特定枠の人物は選挙運動等が出来

ないことになっている。


(参議院比例代表選出議員選挙広報から)


さて、ドント方式について記しておこう。一

度覚えてしまえば大して難しくはない。モデ

ルケースとしてNHKの選挙サイトを使って

整理したい。


(NHK選挙WEBサイトから)

先ずどの政党に何人当選させるかを決める。

その際に前提となるのが各政党の得票数であ

る。この時、個人名で記入していても、その

候補者が所属する政党の得票数にカウントさ

れる。モデルケースでは、

A党240

B党180

C党120

となっている。当選者を全体で6人とした場

合、A党〜C党で決めるが、表を作り得票数

を1で割った数字を出し、更にその下の列に

2で割った数字を出し、更にその下の列に3

で割った数字を出す。


例えばA党の場合、

全体の得票数240➗️1=240 

全体の得票数240➗️2=120

全体の得票数240➗️3=80

となる。


これを、B党、C党も同じように計算して表

に書き出す。A党からC党までの数字が出た

ら、単純に数字の高い順番に番号を付けてい

く。モデルケースだと一番高い数字は一列目

A党の240、次がB党の180、次がC党

の120、更にA党の120、B党の90、

A党の80となる。当選者が6人とした場合

、これで決まり。


A党から3人が当選、B党は2人、C党は1

人である。基本的に参議院議員選挙の比例代

表は50人ずつなので、得票数の多い順から

50議席充てれば良い。今回の比例代表選挙

の結果は自民党12人、国民民主党7人、参

政党7人、立憲民主党7人、公明党4人、日

本維新の会4人、れいわ新選組3人、日本保

守党2人、日本共産党2人、社民党1人、諸

派1人と言う結果だった。


こうして、参議院議員選挙、選挙区148人

の比例100人のうち今改選はその半分の人

数で今回は選挙区1人増の選挙区75人、比

例代表50人を決める選挙。もう半分を含め

て過半数が125議席、その結果、与党が過

半数割れの122議席、野党が126議席と

なった。


(NHK開票速報サイトから)

第27回参議院議員選挙の内訳は以下の通り

となる。

自民党39議席 選27、比12

公明党8議席 選4、比4 

立憲民主党22議席 選15、比7

日本維新の会7議席 選3、比4

国民民主党17議席 選10、比7

日本共産党3議席 選1、比2

れいわ新選組3議席 選0、比3

参政党14議席 選7、比7

日本保守党2議席 選0、比2

社民党1議席 選0、比1

NHK党0議席

再生の道0議席

チームみらい1議席 選0、比1

諸派その他8議席 選8、比0


この結果、与党である自公合わせて141議

席だったのが122議席に減らし、過半数を

下回った。逆に野党は99議席から126議

席に増えた。しかし、野党はまとまっていな

いので、似た政策を掲げていたとしても連携

して法案を通すのは難しいだろう。


(東洋経済オンラインから)

今回の特徴は、参政党の躍進である。バラン
ス良く選挙区、比例代表共に7人の候補者が
当選している。自民党を見限った有権者の受
け皿、また、若者の新たな選択肢として存在
している感じもする。このことが、国家・国
民の行方に吉と出るのか凶と出るのか定かで
はない。社会の公正と信義を胚胎することが
予想されるが、衆議院ではなく参議院と言う
ところで、若干の限定的な面もあるが、少し
でも良い方向性の道筋がつけばと思う。危惧
されることは、内外からの圧力で、蹉跌を余
儀なくされる心配もある。

(ヤフー 産経新聞ネット記事から)

とりあえず、次回も参議院選挙関連を続けて
書く。

(つづく)






令和7年(2025年)4月21日(月)


昨今のSNS時代は、対立する思考なり思想

が際立って人々の心に影響を与えている。ま

るで静寂な池に小石を投げると、小さな波紋

が180度に円が大きく拡がっていくような

現象だ。


この拡がったものが社会全体に『善』の結果

をもたらすのか、それとも『悪』をもたらす

ものか、その時代に影響する人物に強く作用

されてしまう。戦後、日本人は外国なのか戦

後利得者なのかは別にして、何かに依存しな

ければ生きて行けない環境の中にいる。


今、それぞれ個人が正義(こうあるべき)を

語り、社会に問いを投げかけ、そこから人間

の光と闇を炙り出している感じに見える。社

会には本音と建前があって円滑な人間関係が

成り立つ場合もあるが、それは本音と建前を

互いに認識しつつ、適当な精神的距離感を保

ちながら生きているからだ。ところが、SN

Sのようなツールはたとえ匿名だとしても極

めて近い距離で擬似的人間関係が築けてしま

う。擬似的バランスが保てれば良いが、多く

は不特定多数がその内容を掻き乱すように別

の目的(自分の存在価値を高める)をもって

攻撃する。その行為が、また別の人物の正義

(こうあるべき)に拍車をかけて拡がって行

くのだ。




私は一人の人間や集団の思考に100%の信

頼を求めないように努めている。話半分で信

じる方が気が楽なのだ。保守だろうとリベラ

ルだろうと「確かに真っ当だ」と思うことと

「おや?」と思うことがあって丁度良い。


私自身、日記をアップしながら、別の考え方

もあるのではないかと頭を過り、自問自答す

ることも多々ある。従って、なるべく対立す

る問題にはそれぞれの立場の動画を視聴する

ようにしている。ところが、心の弱い私は、

自分の嗜好する媒体を知らぬ間に求めて視聴

していることがあるし、その先はその主張す

る人物に好感を持つようになってしまってい

る。


言えることは、保守だろうがリベラルだろう

が大なり小なり既得権益が存在し、それを動

かしている人間関係がある。利害が一致する

者同士が集団を作り、その主義主張に力を与

えて行く。人間社会の成り立ちは数の力であ

る。その数の力を作るツールが今やSNSな

のだ。そして、そのツールを使って不特定多

数に影響力のあるインフルエンサーを見つけ

出して、何らかの形で世間の注目が向くよう

に炎上等を起こして利用し、更なる言論空間

の場を与えて『世間』を形成して行くのだ。


私は自分の心の中に確固たる思想があるかと

問われれば、世間の二元論で答えることには

否定的だ。そもそも、一人の人間の心理の中

には保守とリベラルの捻じれた思考があると

思う。それを白黒の二元論で結論を出そうと

すれば争いが生じる。このことから、常に政

治的な問題には葛藤が生じて、いつも「何か

が違う」とモヤモヤした気持ちがあるのだ。




昭和58年元旦に他界した父は樺太の野田町

で生まれた。今はロシア領のサハリンだ。2

年前に他界した母は長年、障害者として入退

院を繰り返し苦労した人物だった。父は保守

的な性格、母はどちらかと言えばリベラルの

気質があった。どちらも通底していたのは、

私の幸福を願っていたと言うことなのだ。


従って、人間の小集団である「家族」の最大

の想いは、保守だろうがリベラルだろうが共

通して我が子の幸福である。


また、警察も消防も自衛隊も、その人の思想

信条がどうであれ有事には命を守る。先日、

某政党の市議会議員が自衛隊の訓練を

「人殺しの訓練」

と発言したことで、県自衛隊家族会が抗議の

申し入れ書を議長宛てに提出して、所属する

同党県議団は「不適切だった」と謝罪した。


(京都新聞の記事 令和7年4月18日)


しかし、このまま人々の分断が加速すれば、

国家にとって価値があるかどうかが優先的に

問われて、そこに合致しない生命は軽視され

る気がする。それは保守社会だろうがリベラ

ル社会だろうが同じことだろう。既にその兆

しが見えている。人間社会を幸せにも不幸に

も、その政治によって統治が完了してしまう


思うに、最近は議員数が2〜3人の小政党が

ネット文化から生まれ、一部の国民から絶大

な期待と過大な不安を与えて混乱しているが

、今のところ国家運営に殆ど影響はない。そ

れよりも日本は議会制民主主義(国民の代表

者による議会で話し合って決める)なので、

数の力が全てである。良くも悪くも自民党の

政治家、特に役職ある人物による思考が国民

生活に極めて重大な影響をもたらすのである


一時期の自民党には右から左までいて、かな

り激しく論争をしていて、自民党内部から倒

閣運動が盛んに行われていた。ところが、昨

今の自民党は外国人の権利に比重が置かれ、

少しリベラルに傾いているように見える。


私の今回の日記のタイトルは「分断から共生

へ」と題したが、それは外国人との共生社会

(インクルーシブ)を推進する某政党とは意

味が違う。日本の若者が借金をして大学に通

い、卒業後も借金返済に苦しむ。一方で、海

外留学生は国費外国人留学生制度により毎月

約15万円の生活費が支給され、更に地方自

治体の奨学金で家賃補助と交通費が支給、ま

た大学独自の支援金まである。こうして日本

の政治家でありながら日本人の若者と比較し

てかなりの差をつける政策は 如何なものか

。自国の若者よりも留学生に手厚い国家はな

かなか無い。外国人もまた、一度優遇された

権利、特権を守ろうと必死になる。人間が生

きるとはそう言うことだ。制度を見直すのは

今の政治的リーダーには難しいだろう。 


外国人優遇措置をしてしまうのは何も政治家

だけの責任ではない。外国人技能実習制度に

よる就労ビザの緩和にしても、与野党の政治

家、官僚、人材派遣会社等との癒着までが疑 

われている。政治家の場合は、それが次期選

挙の票になったり、選挙中のボランティア活

動だったりと、様々なことに影響するとなれ

ば危ない橋も渡るのではないだろうか。たと

え、普段反対を主張するいわゆるガス抜き議

員も採決では賛成票を投じてしまうのだ。


現在の日本の選挙制度は小選挙区制である。

1つの選挙区から最も得票数のある候補者が

一人当選する。こうなれば、党の公認を得る

為に採決に賛成することが自分の政治家生命

に極めて大事なのだから、党の方針に従うの

は仕方ないことだ。政治家も一人の人間であ

り、この資本主義の世の中で自分の生活を守

るのは当然だと私は思う。だから、私は今の

国会議員が国会議員であり続けるのは結構だ

と思うが、ヒラメ議員と呼ばれないように党

内の役職ある人物の顔色よりも、少しは有権

者を自分の家族だと思って寄り添った政策を

実行して欲しいのだ。


こうした政治家や官僚らが、既存の思考を改

めない限り何も変わらない。変わらないどこ

ろか、日々変化する国際情勢に遅れてしまい

、外国人の主張を飲むしかなくなるだろう。

人間が何かを発信する時、必ず「自分はこう

思う」と言う『断定』からスタートする。こ

の断定が無ければ思考の起点はない。従って

、どうしても「こうあるべき」論が個々人に

あるのはどうしようもない。ただ、SNS時

代の中で「こうあるべき」論が高じてしまう

と本質からズレてしまう危険がある。


私の反省からも、確固たる心を持つことが自

分の視野を狭くしてしまうことが窺える。確

固たるものが自分の心の中で「本物」だと信

じるのが一般的で、それが自分の生き方を支

えるものでもあり、それがないとフラフラし

た人間になってしまう。


マツダ自動車会長の菖蒲田清孝氏がネルソン

・マンデラ氏の言葉を引用して寄稿していた


「私が我が運命の支配者、私が我が魂の指揮

者」


この言葉に励まされたらしい。この事からも

、自分の確固たる信念や考え方が人生を作る

ことが分かる。こうして自分の発心がそれぞ

れの出来事からの選択を繰り返して人生を歩

んで行くのである。そして、その選択した結

果が更なる原因を作り再び選択をして修正す

る。寧ろ、何かを失敗した方が修正の仕方も

上手くなると言える。だが、他人の命を奪う

ことは修正が効かない。


SNSで他人を誹謗中傷して訴訟に発展する

こともある。X(旧ツイッター)は140字

で自分の内心をつぶやくが、短い文章で伝え

るのはかなりの技術が必要だ。追加料金を支

払えば最大2万5千文字まで投稿出来るそう

だが、無名の私には必要ない機能だ。この日

記でさえダラダラと書いている。それは日記

が他者に読んでもらうツールと言うよりも、

その目的は自分の心の整理である。こんなも

のをとても人様に読んでもらう内容ではない

のだ。あくまでも、もう一人の自分に向けて

書いている。勿論、誰かが本当に読んで何か

を感じ、人生のプラスを与えられたなら嬉し

いことであるが、実際は誰も読まない。そん

な時間はないのだ。


この「誰か」とはいわゆる「大衆」のことだ

。大衆とは、スペインの保守思想家オルテガ

の指す大衆である。中村学園大学前教授の占

部賢志氏の言葉に


「過ぎ去った過去のものは遺物として切り捨

て『現在、ただいま』の価値感だけを指針と

して社会を作ろうとする人々」


だと言う。要は人間の言葉には先人の命をも

含有していると言ってるいるのである。今さ

え盛り上がれば良いものではない。

ユーチュ

ーブのチャットも危険性を孕んでいると私は

思う。瞬間的に反応した言葉を文字化して形

にする。人気動画であるほど参加者が多い為

、その文字は瞬時に流れてしまう。流れるか

ら更に追加して書き込む。そこに人間の精神

が集中してしまう。普段と違う別の思考回路

が脳内を駆け巡る。動画配信者がコメントを

拾ってくれればそれも嬉しくて同じく追加し

て書き込む。スマホゲームをやっているのと

大差ない。


いずれにせよ、視聴者側の参加(書き込み)

に価値があるのだ。そこに反応があろうが無

かろうが会話が成り立つのがチャットである


しかし、何度書き込んでも反応が無ければ

次第に無視されたと邪推し、自分で書いた文

字が虚しく、その実体ある自分までチャット

のゴミ置場に格納されたように感じてしまう

のだ。


また、チャット等に限らず、自分の書いた文

字や行動は「善」の行為だと信じ、それは社

会正義に繋がると思ってしまう人もいる。


中国の荀子の言葉には、


「善行を為すのであれば、ずっと続けるべき

だ。積み上げていけば必ず世に知られていく

。そして世に良い影響をもたらす」


こうして、自分の言葉や行動を信じることが

自分の価値や生きる源泉にもなるのだ。そこ

に、やはり「断定」が存在する。ところが、

その善行と信じた行為が、結果的に社会悪に

なる場合もあるのだ。その時、人はそれを認

めて自分から是正出来るだろうか。私自身、

その勇気があるだろうか。


これからはAIの時代になる。AIを設計す

る人、使う人が必ずしも社会全体の幸せを考

えている訳ではない。何らかの特定既得権者

の思惑を設定した物体かも知れないし、善行

だと思って設計したが、結果的に多くの人々

を苦しめてしまう場合もあるだろう。科学だ

ろうと何だろうと、生の人間の心を知ること

と愛することが全ての起点だと思うが、私自

身、まだまだ課題があるのだ。




私はこれまで、白黒つける仕事ばかりして来

た。それが世間的にも一番正しく、法解釈で

も正しいからだ。だが、法の解釈で追いつか

ない領域がこの人間社会には存在する。例え

ば、平成7年に発生した地下鉄サリン事件で

ある。あの死刑囚をはじめとした犯罪者達ち

をどう考えれば良いのか。


私自身、あの日、日比谷線に乗車して秋葉原

まで移動していた。2本後の電車に上野から

乗車した林泰男が秋葉原付近でサリンを散布

し、小伝馬町、八丁堀でパニックになった。

一歩遅い電車に乗っていたら私も被害に遭っ

ていただろう。こうした経緯で、私もオウム

真理教の人間達ちには現在も強い怒りがある

。ところが、後の報道で犯行に関係した多く

の人物が裕福な家庭で育ち、高学歴の真面目

な人物だと知り、何故、将来がほぼ約束され

た人間なのに無差別テロを起こしたのか不思

議でならなかった。林泰男についても捜査官

から真面目で丁寧だと評価されていた。そん

な人間も宗教の理想の為に教祖と言う俗人の

マインドコントロールで人殺しまでやるのだ


(FNNプライムオンライン記事から)

宗教を隠れ蓑にした犯罪集団。オウム真理教

事件についての日記を私は「その44 教習

指導員回想録3」以降、頻繁に触れている。

「その48 宗教と自分」では、日記自体は

平成7年6月4日に記しており、ブログに転

記して投稿したのが平成29年6月17日の

ことだった。読み返すと当時、私が何を考え

ていたのかが分かる。


人間と言うのは、理想の為に人殺しをやるの

である。外国では宗教によって人殺しをする

ケースがあるが、我が国で起こるとは誰も思

わないだろう。オウム信者にして見れば、少

なくとも実行犯にしたら人殺しが『善行』だ

ったのだ。そこで私は考えた。理屈ではなく

、仮に私が何らかの接点が彼らとあるとして

、その家族や親族を差別なく心から愛せるだ

ろうか?松本智津夫(麻原彰晃)の身内を何

のわだかまりなく接することが出来るだろう

か?


松本智津夫の子供達ちは事件当時、何の判断

力も、親や信者らの行為を理解したり意見し

たりする力もない。形だけの教団幹部である

。しかし子供に対する世間の風当たりは強か

った。マスコミを賑わせた三女アーチャリー

は、地下鉄サリン事件当時は11歳、小学5

年生だ。しかも閉鎖的教団の空間内なので普

通の小学校には通っていない。


こうした当時の子供にまで、教団の一連の事

件に対して、空気感としての何らかの責任を

求めて良いのだろうか。しかしながら教団は

組織である。教祖の血族には何らかのシンパ

シーを感じるだろうし、当時の子供達ちも大

人になった今、当然、何らかの動きをすれば

信者は妄信するのだろう。そこに些かの心配

もある。


従って、現在も警察が警戒するのは治安維持

からも必要なことである。何故ならば、今な

お、オウム真理教が分裂したとは言え、その

後継のアレフは信者が1000人を超え、山

田らの集団も約30人、上祐派とされるひか

りの輪は約100人の信者がいると言う。問

題は、あの大事件の後も、分裂はしたものの

、現在もその集団メンバーと行動を共にして

いる人間がいることである。確かに、自分の

居場所がなかなか見つからないと言うのもあ

る。事件を知らない世代も入信していること

だろう。


さて、では私は仮にこうした人々を知った場

合、その人を一人の人間として心を知り、愛

そうと努力出来るだろうか?。それが出来な

ければこの言葉は虚像のスローガンであり、

虚しい戯言でしかない。差別はあってはなら

ない。だが、現実はそこにある。


心ある人として扱って良い人とダメな人、愛

して良い人といけない人が、歴然と世間の空

気感としてあるのだ。従って、オウム真理教

の信者に限らず、最大公約数の空気感の範疇

でしか他者の心を知ることは出来ないし、愛

することも出来ないのである。それが人間的

に卑怯だと思うのだ。卑怯者と内心感じなが

らも、躊躇するであろう自分の正直な思考に

向き合うしかない。


こうした空気感の仕打ちが不寛容だとするな

らば、逆に寛容さも分断を生むのである。こ

の寛容さが別の不寛容さを生み、相互に対立

する。昨今の実質的移民政策もその一つであ

る。


こうした政治体制の中、日本人が人生80年

以上生き続けるのは相当苦しく大変なことだ

と思うのだ。命ある限り生き続けるのが人間

の務めではあるが、極めて残酷とも感じる。


令和6年に自殺した人は2万268人(遺書

等で分かる人)だったが、児童・生徒は52

7人と過去最も多かったと言う。児童とは小

学生、生徒とは中.高校生である。G7の中

で10〜19歳までの自殺は日本が1位であ

る。




このSNS時代においてはすごい狭い世界の

中の言論空間に極めて高い依存をして、特定

の思想や主義に集中してしまう脳内における

ドーパミン活性化現象を誘発させる。SNS

が心の支えになるばかりではなく、誹謗中傷

が発端となり、睡眠障害、うつ病、記憶力低

下等が懸念されている。人間は誰でも迷う。

総理大臣も、会社の社長も、親も迷う。地位

が高いほど迷うのである。だからこそ勇気が

必要だ。その勇気から国民の生活が安定すれ

ば全体に活気が漲り、マイナス思考からプラ

ス思考へと循環する。SNSやユーチューブ

動画に振り回されないでバランスをとって生

きることが他者への優しさに繋がるだろう。


ただ、そこには落とし穴があり、『中立』を決

め込むと自分を見失うこともあるのだ。


「Aも正しい、Bも正しい、Cも正しい。で

はお前はどう考えるのか!」


と問われると返事に困ってしまう。こうした

八方美人的な卑怯な人間が中立なのである。

特に重大な結論を求められた時、A、B、C

を選択、決断しなければならない時、もうそ

の時点で誰かから嫌われ、恨まれ、無視され

るのだ。そうであれば、腹を括るしかない。

それでも中立のスタンスを取るならば誰かに

リーダーの席を譲るしかない。問題は、自分

がその決断に至った背景をキチンと説明し、

選択されなかった側もしっかり聞く耳を持つ

ことが出来るかが強い組織を作る要諦だろう


しかし、今の会社は非正規だの準社員だのと

言った雇用形態で、会社への愛着は薄れてい

る。そんな雇用のされ方の自分が嫌いなので

、同じ職場で働く仲間も嫌いになってしまう

。互いに惻隠の情が消えつつある。日本企業

が海外資本家に買収され、更には官公庁から

の許可、認可、届出、入札が必須な業界は役

人から手足を縛られ、官公庁もまた財務省か

ら予算を握られ、財務省もまた何かに縛られ

ているような感じがする。賃上げ賃上げと、

盛んに言われているが、これまでの経過を見

ると、賃上げが世間に醸成され、政治家が動

いた結果、賃上げされたのは公務員と大企業

に勤める人々の賃金である。ただ、これも確

かに賃上げされているので統計上は向上した

ことになる。ところが、非正規だの準社員と

言った時給で働く人々の賃金は据え置きであ

る。寧ろ賃金上げたのだから、高齢化の社会

保障も大変なので各種税金、公共料金も値上

げします、と言うパターンなのである。従っ

て、一般社会で働く中小企業の人々の月給や

時給を数十円、数百円上げたところで、実質

賃金は下がるのである。賃上げ運動をすれば

するほど格差が広がり、厳しい世の中になる

のである。


安倍晋三回顧録と言う本の中で、安倍氏が財

務省について、


「国が滅びても財政規律が保たれてさえいれ

ば満足なんです」「省益の為なら政権を倒すこ

とも辞さない」


と批判している。これに対して、元財務省関

係者が「荒唐無稽な陰謀論」だと反論してい

る。税金だの予算だのと、私には別の世界の

ことで何が何だか分からない。ただ、かつて

野党時代の自民党、麻生太郎議員が、


「日本は政府が借金しており国民が借金して

るのではない。国民がカネを貸してる。そし

て、日本国債の94%が日本人が買っており

、6%を外国人が買っている。それも円建て

だから100%円建てです。もしいざ満期に

なったら、日本政府がやってるので日本政府

は印刷して返すだけ」


と言っているのをユーチューブで見た。だが

、与党に返り咲いたら一切言わなくなった。

麻生太郎議員は色々勉強して知っているのだ

。国民の為に動く政治家であれば、一貫した

主張をしてもらいたかった。これと似たよう

なことを、野党のれいわ新選組、山本太郎議

員も言っている。何か、野党になると共通の

台本があるのだろうか。


変動為替相場制では、自国通貨を発行する政

府は、その『自国通貨建て国債』に関して、

債務不履行(デフォルト)になることはあり

得ない。日本政府は、これに該当するので、

財政破綻はしないとされる。いずれにせよ、

健全財政(財政規律)は、無意味なのである

。経済に詳しい中野剛志氏は、国家財政は経

済の状況に応じて運営するべきもので、財政

規律(健全財政)は普遍的なもではないと主

張している。


いずれにしても、財政規律のままの考え方な

ので与野党関係なくこの理論が変わらない限

り、彼らの一貫した考え方は変わらない。結

局、政治の話しになってしまう。政治の話し

など、実は誰でも一言語れるものだ。特別な

教養など必要ない。疲れたので今日はもうや

めておく。


 (つづく)