
●平成10年6月15日(月)
実家に行く。母の希望に沿って家具類の配置
を変える。普通の人が家具の配置を変えるの
は単なる気分転換であるが、母の場合は精神
疾患から来る妄想に繋がっている可能性が高
い。
母はベッドの位置を窓側にしたいらしく、私
は洋服タンスを移動してベッドを窓側に配置
した。
何故、母がベッドを窓側に配置したいかと言
うと、なかなか眠れないからというのが理由
だ。確かに部屋の模様替えは精神的にも良い
ので推奨するが、問題は、先日、母は浅草仲
見世のパート先をクビになった。その理由は
先日の日記で書いたが、精神疾患からの妄想
が原因であろう。多分、母は主治医からの薬
を飲んでいない。睡眠不足や妄想は怠薬が原
因だ。
私は一応、新聞の求人チラシを母に渡し、次
のパートを探すように促した。本当は、なか
なか精神疾患を理解する人が少ない世の中で
は母が働くのは難しいし、母もまた他人に自
分の病名を教えるのも抵抗があるだろう。ま
して、怠薬しているのだから、自分が治った
と思っている。この先はどんどん具合が悪く
なる一方である。
こうなると、私もまた理由を付けて職場を欠
勤し、実家に様子を窺いに行かねばならない
。「母の具合が悪いので休みます」と言って
も、組織とすれば、「親も子供じゃないのだ
から・・・そんなの医者に任せておけ」と思
うだろうし、「お前もマザコンじゃないだろ
う⁉」となる。
当然、『やる気がない』、『会社に不満があ
る』と見なされ、職場での信用も更に悪くな
るのは目に見える。勿論、学科の不選任につ
いて不満はあるが、そんな単純な問題ではな
い。
まさか母が精神分裂病とは言える筈もない。
教習所は堅い職場である。そんな奇異な家族
を持つ人間なら辞めて欲しいだろう。何かあ
ったら組織に迷惑が掛かるという理由で幹部
ならば誰もがそう考える。それが普通だ。し
かも、上司に個人的なことで相談するのは甘
えなのである。あくまでも職場というのはビ
ジネスの関係であり、上司と部下の関係も執
務時間内だけのことだ。従って私的なことは
自分の心で解決する問題なのだ。勿論、私も
教習所に迷惑を掛けたくないので、本音は直
ぐに辞めたい。しかし、自営(独立)が出来
る能力がないなら、何処かの会社(組織)に
入って仕事をするしかないのだ。従って、こ
の問題は組織で働くうちは続くのである。
また母は最近、食事を摂ってないと言う。食
欲がなくなるのも幻聴の特徴だ。要は、幻聴
によって食べ物の中に毒物が仕掛けられてい
ると思うのだ。この病気は脳の情報処理能力
の障害である。日本人の100人に1人の割
合で罹患する病気だが、それぞれ程度の差が
ある。母の場合、再発を繰り返しているので
薬の量も増えている。飲むのもイヤになるの
も分かる。しかし、この状態のままだと必ず
近所の人に迷惑を掛けてしまう。
キチンと服薬さえしていれば正気に戻り、普
段の優しく穏やかな母になる。しかし生まれ
つきの遺伝もあり、本人の深層心理では深い
劣等感があるに違いない。本人に何の罪もな
いのだが、だからこそ運命としか言えないの
である。
同時に、父も、母の病気を知っていたら結婚
したかどうか定かではない。父が酒乱に走り
母や私に暴力を振るった原因が母の精神疾患
にあるとしても、何ら不思議ではない。常に
母の妄想に翻弄されれば、自分の精神が耐え
られないだろう。生きる気力を失ったとして
も、今の私なら父を責められない。父は父と
して、自分の運命に絶望したのではないか?
結局、父は誰にも理解して貰えず、酒が原因
で糖尿病から尿毒症で孤独に死んだ。
YS氏は母の精神疾患を知りながら結婚し、
母に尽くした人間だ。現実、母はYS氏と婚
姻中に精神疾患で入院していない。それはY
S氏が心の病気に理解ある人だったからだろ
う。しかし、自分が鬱になってしまい、自殺
してしまった。
また、それ以上に母もキチンと服薬し、所謂
正常な精神状態の時、自分の遺伝的な病気を
呪ったはずである。自分が生まれたことに対
して、誰よりも負い目を感じていたに違いな
い。母は少女時代の頃について時々語るが、
親や姉から虐められ悔しい思いをしたと言う
。それが事実なのか妄想なのか、私が親戚
(叔母)に確かめて解明するのは不可能であ
るが、そのような行為が当時あったとする母
の言葉が必ずしも嘘とは言えない。
それは、祖母は祖母で、精神疾患の子供を母
を含めて二人も生んでしまった罪深さを覚え
、母に辛く当たっても不思議ではないし、叔
母(叔父)もまた肩身の狭い思いをしたこと
だろう。更に、その思いは母にも通じるはず
で、自分の存在そのものを小さく見積り、言
いたいことも我慢していた可能性もある。し
かし、母は亡くなった祖母や叔母(叔父)と
も良好な関係に見え、叔母や叔父も母を嫌悪
している様子はない。互いに頻繁に電話連絡
をしている。そう考えると母の被害妄想とも
思える。また、母が唯一、自分の存在を認識
出来るのは、私という息子がどうしようもな
い、親から自立出来ない弱い人間であること
が母が親として自分の価値を高められること
なのだ。
ただ、言えることは、母の存在が家系的に失
敗だった場合、それは私の存在も自動的に失
敗となる。それは、人間という存在が私から
過去に生まれた祖先達の命によって成り立っ
ているからだ。つまりは、直近では少なくと
も2人(父母)の存在があり、更に、父方の
祖父母、母方の祖父母という4人の存在があ
る。更に倍数の16人といったように、私の
命に関係する存在は増えてくる。
一方、私から以降の未来の命を考えてみると
、とても私が自分の血を引く存在を遺すのは
我が国に申し訳ない。同時に、私が感じてい
ることを、私の子孫に感じさせるのは忍びな
い。子孫に精神障害が発症する可能性もある
。私自身、やはりストレスに弱いタイプかも
知れない。ストレスが私には大敵なのだ。
大昔の人物である高杉晋作氏が「面白きこと
なき世を、面白く見なすものは心なりけり」
という言葉を遺しているが、その『心』とは
他者ではなく、私自身の感じ方である。周囲
の要因で人生が左右されてはいけないが、そ
んな中でも、別の面白さを感じて生きるのも
良い。
今、私は30歳である。異性を愛し、所帯を
持つという一般的な生活だけが面白い生き方
ではない。私が誰かを愛し結婚などしようも
のなら、母が気を遣ってしまう相手が増え、
更に親戚縁者にも間違いなく負担が生じる。
私自身も同じように負担が掛かり、つまらな
い人生になる。私が他人を愛するというのは
、かなりハードルが高いことであり、多くの
人々に苦労を掛けてしまうだろう。そう考え
ると、些か異性との心の距離を取るのはやむ
得ないと思う。これは今に始まったことでは
ない。幸いに、魅力ある人間ではないだけに
、相手から言い寄られる心配は皆無だが、私
自身の発心の規制が在り方が問題になる。
確か、21か22歳の頃、私から気持ちを告
白したことはあったが、身の程知らずの若気
の至りだったと思う。だが、異性を愛し結婚
するだけが人生ではない。私が所帯を持って
も上手くいかない。何故なら、『家族』の姿
が私には見えないからだ。
話を戻すと、もう怠薬して何日も経っている
感じだ。今から薬を飲んだとしても精神状態
が安定するまで3ヶ月以上は要する。しかし
私が服薬を説得しても、なかなか素直に応じ
る人ではない。病院に連れて行くのもかなり
難しい。私に全責任が生じる。さて、どうし
たものか?
(つづく)
=説明=
新型コロナウイルス感染症(デルタ株)の感
染者数は令和3年7月27日発表(東京都)
で2848人で、過去最多である。
2020年東京オリンピック・パラリンピッ
ク競技大会では日本人の金メダルが増えてい
る。柔道の阿部兄妹は感動的だった。また、
スケボーでも22歳の堀米選手と13歳の西
矢選手が金メダル、16歳の中山選手も銅メ
ダル、卓球混合ダブルスの水谷・伊藤ペアも
金メダルを取った。そして女子ソフトボール
の決勝戦(対アメリカ)が令和3年7月27
日に行われ、2ー0で我が国が勝った。コロ
ナ禍の中、非常に見応えある素晴らしいスリ
リングな一戦だった。また、サーフィンでも
五十嵐選手が銀、都筑選手は銅で健闘した。
先般緊急事態宣言が令和3年7月12日に発
令されて(東京都、沖縄県)、まん延防止等
重点措置(埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪
府)も一部で延長されているが、千葉県等が
緊急事態宣言の要請を国にすると言う。いず
れにしても、無事に東京大会が終わって欲し
い。
このブログは主に私が25、6歳頃から書き
綴り始めた日記(内心の自由と不自由)の転
記で、現在は30歳頃をアップしています。
令和の今と考え方が異なる部分も多々あり、
それが成長なのか後退なのか分かりません。
アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観
そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有しています。人の存在は川の流れ
のように『過去』に消えます。丸でベルトコ
ンベアーのように・・・。
町ですれ違う人々、電車やバスで乗り合わせ
る人も、この瞬間を起点に100年後は私も
含めて99%が絶命しており、その存在があ
った事すら知る者は血縁者以外にいません。
私が古い『日記』を開示公表する目的は、
私の父母、YS氏(義父)、私に関わってく
れた多くの人々をも半永久的に活字の世界で
生き続けて欲しいからです。
『死して朽ちず』
それが供養だと思うからです。
私自身、マイノリティな家庭で育ちました
。父は酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして
酒が原因で入退院を繰返し、尿毒症で死去し
ました。また、母は遺伝的疾患で同じく長く
入退院を繰返し、不倫相手のYS氏と再婚し
ましましたが、そのYS氏は失業の末にうつ
病を発症し自殺しました。
しかし、母が再婚しなければ私は間違いなく
100%中卒でした。中三の三学期には電気
工事会社に面接にも行きました。いずれにせ
よ、職種は極めて限定的だったことでしょう
。
私達家族は社会的に隠す事が多い為、世間で
生きづらさを覚え劣等感を抱えて生きており
ました。従って挫折癖があるのです。他人に
猜疑心があり、地に足がついてないので、自
分の身近な人を愛さず、いきなり世界平和を
願ってしまうような、心の基礎が脆弱で外観
(外面)を建設してしまう。こうした人間は
、他人に対する優しさに欠けます。そして薄
情です。何故ならば、心は常に劣等感の解決
に拘泥し、自分のことで精一杯だからです。
また、父も母もYS氏も、それぞれがこの社
会で自分の居場所を求めて必死に生きていた
ことが今は分かります。また、その母の話し
相手をしてくれていたのが母の姉(私にとっ
ては叔母)です。10年前から胃癌で伊勢原
市の大学病院に通院、手術を繰返していまし
たが、令和3年5月10日、86歳で永眠し
ました。叔母は若い頃に離婚し、以後、独り
で力強く懸命に生きていました。母は7人兄
弟姉妹の4女で、母を含めて3人に精神疾患
があります。叔母も自分の兄や妹がこうした
病を抱え、そのことで劣等感を持ったことで
しょう。私はそれを深読みしたのか、敢えて
親戚から遠ざかっていました。更には、従姉
妹(いとこ)の子供が警察官であり、尚更、
母や私の存在は伏せておくべきことだと思い
ました。
父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで、住居や就職も身寄りのない私には緊急
連絡先にしても連帯保証人にしても記入する
人物がいないというのがネックになります。
まだまだ、我が国では血縁が重視されます。
また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡りが
下手で処世術が皆無です。従って、年齢相応
のキャリア形成(地位や肩書)は残念ながら
ありません。
20代半ばから30代過ぎまで自動車教習所
指導員、30代終わりから40代は警察業務
の民間委託の仕事を10年間勤め、そのうち
約9年間を所属長の立場で部下を持ちました
が、慢性的な人手不足の中、目先の運営と実
績に明け暮れ、嫌われることを恐れて叱れな
い上司に終始した結果、私の意志を継ぐ後継
者の育成に失敗し、組織の統率・意思決定に
不備が生じました。
『いい人』と呼ばれても人徳がなかったの
は、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ
取ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を
回避したかったのです。上記で触れましたが
幼少期、母を巡る不倫で父とYS氏の間で激
しく罵り合う場面を間近で見ました。それが
原因で私は大人になっても人との摩擦を極端
に嫌い、問題解決能力を養うことをしません
でした。これはリーダーとして致命的です。
部下を厳しく叱責すべきところを柔和に交わ
しながらも、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。
外面では美辞麗句を吐きながら、私の風貌も
相俟ってその言葉が軽く安っぽく見えてしま
いました。当然、ストレスはMAX状態です
。今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威
厳や貫禄を、10数年後に自分が部下を持つ
立場になり痛感しました。当時の上司の覚悟
を感じずにはいられません。
ある年度末、署内で某交通課長(警視)から
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらった
。要するに、上司として部下に迎合すること
なく権限を適切に使い、キチンと指導しなさ
いという意味に解釈した。心理学者の河合隼
雄氏の著書で、「100%正しい忠告はまず
役に立たない」と書いてあります。そう考え
ると、私の指導が全員の部下に正しいと思わ
れることはありません。2%は賛成、2%は
反対、後の6%はその時の空気感で変わるの
です。しかし、当時の私は全員に賛成されな
いと組織として物事が進まないと思っていま
っていました。要は、100か0なのです。
つまり、私は完全無欠なリーダー像を知らず
に求めてしまい、それは独裁を意味していま
したが、私の弱さ故に独裁とは真逆に向かい
ました。
優しさとは覚悟です。
①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合
私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにし
て依存体質の部下を醸成してしまいました。
私の前では自由に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案を起こし
排除されました。中には、異動後に体調を崩
して亡くなった隊員もいます。厳しい世界を
生き抜ける指導をしなかった私の責任は重大
です。その罪も心の中で一生負わねばなりま
せん。組織のリーダーがやるべきは、人を遺
すことです。
更に、私と出会ったことで元々優しい隊員
が質(タチ)の悪い性格に変わることがあり
ました。私との相性もありますが、それは、
優しい隊員も建前の自分を演じており、『い
い人役』を私に取られたら、自分の存在感が
危機的状態に置かれると焦る気持ちがあった
からでしょう。また、自分に自信のない人、
劣等感の強い人の周りにも質(タチ)の悪い
人が集まります。それは、依存して楽をしよ
うと企む力が働くからです。
同時に私は、私に協力的な人にも、批判的で
質の悪い人にも、同じように物分かりの良い
上司として演じ続けました。当時はそれが私
に求められること、私がリーダーとして存在
する唯一の価値だと抑圧されていたからです
。しかしそれは、私と部下との心理的立場の
距離感が保てなくなり、下克上にもなり決断
力が鈍りました。リーダーが組織を動かす時
、それは致命的になります。
『本当の優しさ』とは何か?
リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。人間関
係に消耗しながら妥協する『いい人』は一時
的に重宝されても、自他を不幸にします。
リーダーには孤独と覚悟が必要です。私には
覚悟がありませんでした。勿論、その覚悟あ
るリーダーを本部がフラフラせずに、信じき
ることも必要です。多少の批判や苦情で交代
では、いつまでも組織は弱いままです。その
土台なくてリーダーの覚悟は生まれません。
即戦力を求める組織は、互いの関係が常に緊
張状態になりやすく、それぞれの立場で護り
(保身)の姿勢が感情を敏感にします。では
、どうすれば骨のある本当に優しいリーダー
になれるでしょうか?
資質とすれば、家庭基盤(家族構成と収入)
が安定し、幼少期から自分の『心の基地』を
確立した人物が信念を貫けるリーダーだろう
と。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?
結果的に私は、親の介護問題と並行して、
私自身が体調を崩して入院、退職の途を歩む
ことになりました。遡行(そこう)すると私
の人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時
も、組織内ではなかなか芽を出せませんでし
た。それは詰まるところ、嫌われたくない、
好かれたい、という意識が強く、誰かの支え
になるリーダーというよりも私自身が誰かの
支え・庇護を常に必要とし、寂しさと劣等感
がネックになって何かにつけて責任転嫁、自
立出来ない人間に成り下がったのです。
どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。
ー令和3年7月ー
∠(`・ω・´)