第250号 巨人戦三昧(平成9年8月17日) | 生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。

●平成9年8月17日(日)
今日は東京ドームで「巨人ー横浜19回戦」
を観戦した。私は仕事後に球場に向かったが
、H指導員は休暇を使い観戦したので既に到
着していた。

(この日のチケット)

さて、ゲームの結果から記すと4ー0で巨人
が勝った。しかも、つい最近までファームに
落ちていた岡島秀樹投手が先発完封をした。

彼のファームでの練習を私はジャイアンツ球
場でしばらく観ていたが、その彼が今日、横
浜打線32人を相手に138球で完封勝利し
た。プロ入り初完封である。これは私も嬉し
かった。しかも若手がこうして試合を作った
ことはジャイアンツにとって非常に大きい。

(97年4月、ファームで練習する岡島秀樹投手 筆者撮影)

私の観戦記録は、これで9勝9敗となった。
しかし、今年は既に18試合を観戦している
ということだ。普通の野球好きなら、球場に
足を運ぶのは精々2~3試合程度だろう。や
はり野球観戦依存症と言える。しかも、明日
は昼間はジャイアンツ球場に行き、夜は再び
東京ドームでファームのナイターを観戦予定
である。

(新聞記事1)


(新聞記事2)

(今日のデーター)

(今日までのセリーグ順位)

この岡島投手の姿から、やはり私もまた人生
何とかしなければならないと感じてしまった
。日常で周章狼狽している私と対照的に、威
風堂々とマウンドで投げていた若い岡島秀樹
との懸隔に自身の情けなさを覚えた…。

確かに野球はグランドに於いては9人の力が
必要であるが、それぞれ自分のポジションに
責任がある。しかもそのプレーの如何で生活
が左右されるのである。『プロ』の世界は厳
しく、来年、自分の存在が球団にあるのか分
からない。注目された選手の場合、中途半端
な成績ではトレード要員になる可能性が高く
なる。

岡島の場合はまだ心配ないが、次々に一軍定
着を狙っている選手はいる。プロ野球選手と
いうのは、ある意味で不安定な職業である。
いつもファームの練習を観ながら思うことだ
が、「来年、彼は球団に残るだろうか…」と
いうことだ。同じ球団のユニホームを着てプ
レーしていても、実際は個人事業主と変わら
ない。

毎年、球団を去らねばならない選手は10人
前後いる。ドラフトなどで入団する選手の数
だけ、球団を去る選手がいるのだ。一軍二軍
と分けられているものの、プロには変わりは
ない。それなりの評価を受けてプロ野球界で
働いている人々である。ただ、私のように自
動車教習所の教官も同じだと思うが、能力と
いうのは、それを評価する側の主観的な問題
と数字という客観的な問題がある

例えば主観的な問題とは、経験年数だと思う
。入団から3年目の選手が、一度も一軍出場
が無ければ経験値が足りないのだから、能力
がないと見られる。私もまた指導員資格の
得まで時間を要した。指導員としての資質、
能力に欠けていると見なされている。客観的
とは、ゲームデータであろう。ストレートに
は強いが変化球が打てないなら一軍では使え
ない。私の場合なら、教習生からのアンケー
ト調査とか勤怠状況であろう。だが、こうし
た評価とは別に、「何故、アイツが球団に残
って、俺がクビなんだ❗」という人事もある
。それは逆を言えば、能力だけで人事は決ま
っていないという、人脈ルートという存在も
ある。ただ、基本的には能力と言える。

このように、ファーム選手にとっては、他の
選手の怪我や一軍選手のファーム落ちは、ま
たとないアピールのチャンスなのである。中
途半端な活躍でトレードに出されるとしても
、野球での生活は継続出来る。要は、他人の
不幸の上に自分の幸せ、生活を築かねばなら
ない。プロの世界は、特に慈善団体と違うの
で、勝つための人材しか要らない。人情で雇
用契約は結ばないのだ。

この不安定さに私のような野球ファンは、そ
れぞれ選手の真剣さに一種同調というか、一
喜一憂し、自分の姿と重ね合わせ感涙するの
だ。こうして依存症となっている私だが、私
の深層心理に『活力』というものを注入して
くれるのが野球観戦なのだから、はやり今の
私には必要不可欠と言える。

つづく