第237号 巨人戦三昧(平成9年6月22日) | 生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。

●平成9年(1997年)6月22日(日)
今日は職場を半日休暇をして、東京ドームの
「巨人ー阪神13回戦」を職場の班リーダー
であるY検定員と観戦した。私が何とか教習
所で働けるのは、いつも一緒に観戦してくれ
ているH指導員、A指導員をはじめ、班リー
ダーのYさんのお陰である。

Yさんも野球(巨人)好きだ。また、待機時
間は日刊スポーツの競馬欄をよく見て、研究
している。座席は三塁側(阪神)ベンチの真
上で、阪神選手の声もよく聴こえる『ボック
スシート』と呼ばれている場所だ。この場所
は年間指定席なので通常だと購入出来ないが
、近所の金券屋で偶然二枚確保出来た。

(この日のチケット)

試合の結果は貼付の通りである。先発は巨人
桑田、阪神中込だった。今日の試合はとにか
くホームランが沢山出た。阪神の新庄、巨人
の後藤、巨人の清原、阪神の星野、巨人のカ
ステヤーノの5人。13ー10で巨人の勝利
だった。阪神は投手を7人使った。色々な選
手を観れて良かった。印象的だったのが巨人
後藤選手の活躍だ。松井秀喜の次に打率が良
い。

私の観戦記録も今季12試合中、6勝6敗と
なる。なかなか楽しい試合だった。ボックス
シートは、やはり客層が違う。ワァーワァー
騒ぐ人もなく静かに観戦した。三塁側から一
塁巨人ベンチがよく見えた。長嶋監督は笑顔
だった。やはり野手出身なので、こうした試
合は自分で指揮していても楽しいだろう。

(この日のゲームの成績)

しかし、プロの世界は厳しいと思う。これだ
けの大勢の人間が見ている前で最大のプレー
を魅せる必要がある。しかも、プレーするこ
の瞬間に結果を出さなければ来年の自分の居
場所はない。家庭を持つ選手なら、リアルで
生活に左右される。

有名な選手が高い年俸だと言われているが、
セキュリティの高い家が必要なら、それだけ
高額な物件になるだろうし、マイカーも事故
を想定した頑丈な車を求めるなら外車になる
。どうしても防犯、事故被害防止を考えるな
らそうなる。要は、生活水準が高額になりが
ちだ。従って、一端、生活水準が上がってし
まうと、それを維持するのは本当に大変だろ
う。何が幸せなのか、表面上だけでは分から
ない。

私は今、巨人の選手に対して強い思い入れが
あるが、今日、阪神の選手を間近に見て、阪
神というチームもまた「良いなぁ…」と思っ
。彼らも生活がかかっている。何はともあ
れ、『体力+結果=生活』というのは変わり
ない。相手が倒れてもやむ得ない世界。しか
し選手会があるので、若干の救済はあるだろ
うが、高額なプレーヤーほど一度減額される
と生活は一変してしまう。


※2020年に突入し、間もなく1ヶ月が過
ぎる。私のこのブログは主に25、6歳頃か
ら書き綴った日記(内心の自由と不自由)を
アップしています。感情・意識・行動の変化
を言語化した軌跡です。令和の今と考え方が
変化したことも多々あります。それが成長な
のか後退なのか分かりません。アップの目的
は、
①自分をみつめること
②『私』という人間が他者との関わりの中で
、『絶望』と『再生』を繰返した内観
が目的です。
いずれ訪れる死に際して遺書の意味も含有し
ています。昨今、横浜地裁で開かれた『津久
井やまゆり園殺傷事件』で裁判長が被害者を
「甲A」と匿名で呼称した。それに某遺族が
「甲や乙ではない。キチンと名があって一生
懸命生きていた存在、娘の名を覚えていて欲
しい」と、生きた証を残すために名前を公表
した。公表しなければ、娘さんは甲Aのまま
記号で存在するしかなかった。その気持ちが
充分に伝わる。人の存在は、空気のように次
々と過去に消える。作家の星野博美さんが、
「人が死ねばその人の記憶は消滅し、二度と
そこにアクセスすることは出来ない。何かが
残っていれば、常日頃から話題にして共有し
、記憶を強固にすることが出来る」と記して
いる。この遺族も甲Aではなく『名前』を、
私は過去の『日記』を遺すことで、私、父、
母、YS氏(義父)、日記に登場した人物は
誰かのアクセスで半永久的に生き続けること
が出来る。与えられた命の時間、狭い人間関
係、携わった職業から「私はどう生きたのか
?」を遺しておきたいのです。