
令和8年1月2日(金)
元旦の日記は簡単に記したが、令和7年の大
晦日はJR線の「青春18切符」を使い、亡
き父の故郷である福島県相馬市に父の位牌と
共に日帰りで向かった。
父方の祖父母のお墓にも参拝すべきなのだが
、その場所も分からず、駅の名称看板(駅名
標)の前で祖父母の名前とお経(真言)を心
で唱え、赦してもらうことにした。
天候次第では電車の乗継ぎが心配だったが、
概ね良好なので決行して良かった。
事前にヤ
事前にヤ
フーの乗換案内アプリで乗継ぎを調べ、幸い
に往復とも計画通りに電車が運行してくれた
(下記参照)。
私も既に人生の折返し地点を過ぎ、2024
年の男性の平均寿命が81歳と言うことから
したら、あと残り20年ちょっとである(私
には20年は長い)。それまでに父の縁の地を
訪れておくべきだと思ったのだ。
私自身、この相馬には父母に連れられ幼少期
に1〜2回来たことがある。記憶も定かでは
ないほど、遠い昔のことだ。ただ、トンネル
を通過した後、すれ違った貨物のSL(蒸気
機関車)から出た煙が鼻の中に入り、黒くな
ったのを何となく覚えている。
父は昭和13年6月、樺太の野田町で出生し
、大東亜戦争の煽りを受けて幼少に福島県相
馬市黒木付近に疎開した。学生時代は相馬市
で生活し、青年になってから東京都葛飾区立
石に住みはじめ、そのアパートで母と出逢い
結婚した。その後、自転車屋やカメラレンズ
の製造、鉄工所等で働いたが疾病で入退院を
繰り返し、昭和58年元旦に他界した。
今回、位牌となってしまったが、実に43年
ぶりに故郷の相馬の空気感に触れたのだろう
。また、往路では車窓から見えた東日本大震
災による手つかずの爪跡が印象的だった。
線路際に不自然になぎ倒されていた草木、寺
院だったであろう山門の倒れた石燈籠が今も
なおそのままの状態だった。東日本大震災か
ら来年で15年になろうとしている。大震災
直後に生まれた子が高校生になっている、そ
んな歳月の流れである。
電車内のアナウンスで「次は浪江」とか「次
は双葉」などと聞くと、当時の地元民の阿鼻
叫喚が聞こえて来そうになる。
浪江町で182人が亡くなり、今もなお31
人もの人が行方不明で、双葉町では53人が
亡くなり、1人が行方不明だとされる。
先日(令和7年12月8日)、青森県でマグニ
チュード7.5、震度6強の地震があった。
地震はいつ、何処で発生するか分からない。
人間の命も何処で終わるのかも分からない。
ただただ、祈りと共に生きる以外ないと思っ
ている。
大晦日の日記を年が明けた1月2日の23時
40分にスマホで書いている。もう三が日も
明日で終わり。年々、時間が早く感じる。




















