昭和ヒトケタ生まれの母が
子供の頃に
欲しくて堪らなかったたものは
お雛様とピアノ
小学生だった母が
学童疎開に行っている間に
住んでいた地域は
空襲で全焼してしまいました
戦後しばらくの間は
祖母と伯父伯母と母の4人で
知り合いの家の軒下で
暮らしていたそうです
祖父は戦前に亡くなっており
空襲で全てを失った祖母は
戦後も生きていくだけで精一杯で
母の姉や兄たちは
女学校や中学校に
通わせてもらえていたのに
末っ子の自分だけ
通わせてもらえなかったと
悔しそうに呟いていました
母はどん底の貧乏暮らしで
空襲を逃れた同級生の家にあったお雛様や
お金持ちのお家にあったピアノが
羨ましくて仕方がなかったそうです
娘(=私)がうまれてすぐに
母が買ったのは
7段飾りのお雛様でした
(兄の兜はなく鯉のぼりだけ
)
わたしが幼い頃に
従兄弟のおさがりの
古いオルガンが家にありましたが
ピアノやってみたいと
口走ったら
すぐにピアノが届きました
ピアノ教室は
すぐ嫌になってやめました![]()
多くの人が苦労していた時代だったと
言えばそれだけのことですが
専門学校を出て就職して
夜間高校に行き
大学で単位を取った母は
貧乏な暮らしから抜け出そうと
必死に頑張ったそうです
母が叶えたかった夢のシンボルの
お雛様とピアノは
我が家にありますが
馬鹿でかいお雛様は
押入れで何年も眠っておられるままで
調律していないピアノは
お人形置き場になっています
母には悪いけど
どっちもかなり邪魔![]()
がむしゃらに働いて働いて
夢を叶えた母は今
グループホームで暮らしています
お母さん
早く外出できるようになると良いね
来年はお雛様見に来てもらえるかな
畳4畳分のスペースがいるので
出せる気がしないけど![]()
母のグループホームは今もまだ外出禁止です
私が欲しかったのはコレと
コレ






