夏には日常が戻ると思っていた


2020年

突然の休校措置に続いて

最初の緊急事態宣言が出た時に

思い出したのは

2009年の春のこと。


新型インフルエンザで

地元の学校が休校になり

高校生が街で遊んでいたこと

そして

結局は大したことなくおさまったこと

だった。


そのことがあったから

何も根拠もないけれど

夏にはコロナもおさまっているだろうと

思っていた。




母が骨折

ある日

母が

自宅で夜中に転倒した。

詳細はわからない。

朝になって本人は

デイサービスに行こうとしたが

腫れ上がった顔を見て

心配したケアマネさんが

うちに連絡してくださって

即入院・緊急手術となった。


 母は入院するまで

たくさんの助けを借りて

暮らしていた。

週1日から始めたデイサービスは

数年の間に週6日になり

ヘルパーさんに週2日来てもらっていた。


入院 そしてグループホームへ


退院後も経過観察が必要となった母


入院先の包括ケア担当の方が

提案してくださって

グループホームに入居することになった。


20日ほどの入院中に

母と面会できたのは

ホームの方と母の入居前面談に

同席した5分ほどだけ。


入院中

着替えや洗濯物の受け渡しは

病院入り口の外側だった。

忙しそうに走ってくる看護助手の方は

申し訳なさそうに

私にはわからないんですと言い

母の様子は一切聞けなかった。


退院時は

コロナを警戒するホームの要請で

自宅には寄らずに

そのままホームに移ることになった。


認知症が進んでしまった母は

数日前に療養病棟に転院したこともあってか

また転院だと思っていたようだった。


兄と私に笑顔で

ありがとう

また来てやと言って

あっけないほどあっさりと

ホームに入って行った。


そのあとずっと

ホームから出られなくなるなんて

想像もしていなかった。


今年からは

ホームの事務室まで家族が行けば

ズームで面会させてもらえるようになった。


事務室に入るための条件が厳しくて

孫たちは行くことができていない。


最善だと自分に言い聞かせる


ホームに入居する前は

同じ話を繰り返す母に

優しくできていなかった。

 

母が一人暮らしすることも

入退院を繰り返す父と二人で暮らすことも

選択肢にはない今

ホームで過ごすのが最善だと

そう思ってきた。


お世話になっているホームで

母が穏やかに過ごせていることに

感謝している。



小さな背中


少しずつ

でも確実に

弱っていく

画面のなかの母。


ホームに入居するとき

入り口で見送った

小さな背中を思い出す。


母の好きなうどんとお寿司を

一緒に食べに行こう

みんなで温泉に行こう


何度も何度も約束した。


約束を守る日が

早く来ますように。


何度も何度も

行くことが出来ますように。




コロナについて思うこと

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する