キム・ヨナ 本音インタビュー2 「浅田真央と深い話をしたことはありません」   | ファビラス

ファビラス

楽に

 

(昨日のつづきです)

スクープショー  カミュ
(キムヨナミニホームページより)

――同い年の浅田真央とよく比較されていましたが。

「ジュニアで一緒に始め、シニアでもライバルでいるというのはめったにないことです。最初は真央に負けていましたが、二人ともアジア人ですし、いい競争ができると感じていました。それに、韓国対日本ということもありました。試合によっては、(真央に)勝とうとすることに意味がありました」

――個人的な付き合いはあるのですか?

「深い話をしたことはありません。試合ではよく会うと言うだけです。真央が私のことをどう思っているかはわかりませんが、私は彼女に感謝しています。彼女がいなければ、やる気にならなかったでしょうし、がんばれなかったことでしょう」

――バンクーバーで浅田に勝った時に流した涙を忘れられないのですが。

「あの冬季オリンピックが終わった時、私のアスリートとしてのキャリアも終わると考えていました。でも、金メダルを取った後のトリノワールドで試合に出るように言われました。そこに出場することはほぼ決まっていたのです。オリンピックで、望んでいたことはすべて達成していました。モチベーションも無く、練習もできませんでした。行けば、恥ずかしい思いをすることは分かっていました」

――トップ女優がファンに年老いた姿を隠すために暗がりに入るようなものですね。

「私の人生で望んでいないことをやらされました。でも、状況的にせざるをえませんでした」

2010年のトリノでの世界選手権ではユナはライバルの浅田に敗れて2位だった

――それでは今年の4月の、モスクワでの世界選手権に出場するというのは難しい決断だったでしょうね。

「一年の半分を使って、行かなくて済むように頑張っていました。でも、ついに説得されてしまいました。でも、決めた後でも後悔ばかりで、やめたかったんです」

――どうして行くことにしたのですか?

「もし私が行かなければマスコミやファンや国が私を見限ってしまうだろうと言われたのです。いまだに分かりません。どうしてですか?」

――あなたは前には、国を挙げて100%の支持と愛を得ていました。でも、ブライアンオーサーのところを離れてから、みんな、別の見方をし始めたのです。

「そうですね。確かに」

――感情として、私たちはあなたたち二人を師と弟子という対で見ていました。いい関係のように見えていたのに、あなたが突然彼を解雇したから…

「そういう関係ではありませんでした。あの事件が大騒ぎになったことにいまだに驚いています。スケーターがコーチを変えるなんて、どんなアスリートにとってもあたりまえのことでしょう。スケータ―自身の判断ですることです。オリンピックが終わって、新しい環境が必要になったのです」

――オーサーはプレスにあなたが間違った決断をしたとほのめかしました。

「その時には母のことを悪く言う人がたくさんいました。本当は何があったかなんて知らない人たちが私や母を責めることに腹が立ちました。実際、モスクワワールドに出場したのにはそれなりの大きな理由があったのです。言うことはできませんけれど」

――でも、読者は知りたいでしょうね。

私から言うことはできません。私の周りの人たちは知っています」

インタビューが終わった後、周囲の人たちに尋ねてみた。政府と韓国スポーツ審議会がピョンヤンでのオリンピック開催について結果が出るまで彼女に現役選手として試合に出てほしいと要請したためだった。
(ウォームスメモ)どこまで文字通りに受け取っていいかどうかは私も分からない。もっともらしくは聞こえるが、彼女自身の口から出たわけではない。私は額面通りに受け取らないようがいいと思うが、ユナが直接声を大にして言う立場にいないということも事実である。


     (この朝鮮日報の記事を翻訳されたtemarriさんのブログ「Dream on」)


つづく




今日は最後までお読み下さり、ありがとうがざいました。
興味深いだ記事と思われた方はクリックお願いします。ランキングに参加しております
    
にほんブログ村 その他スポーツブログ スケートへ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村