キム・ヨナ 本音インタビュー「普通の学生と会っても、話す言葉がありません」 1   | ファビラス

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楽に

 

フィギュアスケートの女王キム・ヨナ(金妍児 21歳)が
赤裸々にすべてを語っていました。

私は、夜中にこのインタビューを読んでしばらく寝られなくなった。

11月21日の朝鮮日報に、インタビューは掲載されていました。
インタビュアーはキム・ヨナよりも30歳年上のチェ・ボシク記者。

2010年バンクーバー冬季オリンピックの女子フィギュアスケートで、
浅田真央との死闘を制し、金メダルに輝いたキム・ヨナ。

あれから1年9か月。彼女は今、どんな生活をし、自らのスケートどう人生をとらえ、
2年後のソチ五輪をどうするのか。

彼女は許されるギリギリのところで語っていた。

そのインタビューを、私が1年8か月前にブログリンクさせていただいたtemarri さんが
日本の誰よりもきれいな翻訳をして自らのブログ「Dream on」に載せていました。

カミュはtemarriさんに申し込んで、3日3晩待ち続け、
ようやく転載のお許しを頂きましたので、ここに書けるようになりました。

ロングインタビューなので、4回に分けて掲載します。

では、いってみましょう。


$スクープショー      カミュJr記者
(キムヨナミニホームページより)


「甫植が会った人々――フィギュア女王、ユナキム」

ユナキムはミリタリー調の黒いブーツをはき、黒い服を着て現れた。彼女とは初対面というわけではないのに、私に対して少し硬くなっているように見えた。最初、フィギュアスケート女王は小さな声で短い答えをするだけだった。

――今日は何をしていたんですか?

「学校に入って、それから練習です」

韓国の大学の講義(3年の体育)に3週間前から出席しているそうだ。これまでは、試合や練習のために登録はしていたが出席したことはなかったという。

――以前、大学生活に興味があって、エンジョイして卒業したいと言っていました。友達と付き合って大学生活を楽しんでいますか?

「大学にはしょっちゅう行っているわけではないし、講義のある時は終わるとすぐに帰るのです。他のスポーツをしている大学生と一緒に授業に出ています。普通の学生とたまにあっても、話す言葉がありません。講堂の窓から私をみんなで見るのです。実際のところ、いろんな活動につきあったり友達を作ったりする時間はありません」

――思っているような生き方をするのは簡単ではないということですね?スケジュールに従わなくてはいけませんから。契約で決まった仕事ばかりではなく、新車や陶磁器製品の発売イベントなどそれに付随するイベントにも出なくてはいけないでしょう。

「時々、イベントに出ると、どうしてここにいるの?と思うことがあります。でも、やりたくない時でも、やらなければならないからやっています」

――試合や練習で海外に行くのではなく、スケート靴を持たずに、あるいはリンクに行かずに自由に旅行をしたいと以前は言っていましたが。

「前は一日中試合のための練習をしていました。つらくても、やりたくないことでも、しなければいけませんでした。後で成績が悪いとつらい思いをするのです。以前は『試合なんてなければいいのに』というような考えで頭がいっぱいでした。その頃にはやりたいことがいくつもありました。でも、今ではそんな願いは持ちませんし、学校に行ったり、他のこともできているので、満足しています」


――いつもお母さんとご一緒でしたが、お母さんはストレスを和らげてくれましたか?

「え~、母はやわらげるどころか、ストレスを与えていました(笑)」

――なぜですか?怒られるからですか?難しい関係だったに違いないですね。

「(私たちの関係は)ずっと悪かったです。練習をしている時には(母親と)ぶつかりやすいものです。成長すれば理解できるようになるものでしょうが。母や私に『これをしなさい、あれをしなさい』と簡単にいいつけましたが、そうされることがストレスでした。自分で滑ってみれば、言うほどたやすいものではないのです。私だってうまくやりたいけれど、あまりにも注文が多くて」

――あなたに子供ができたら、おかあさんがしたようにしますか?

「母のようにはなれないと思います。また、そうなりたくもありません。私はスポーツをしたことをいいことだと思っていますが、自分の子供にやらせるとなると、つらすぎるでしょう」

――バンクーバーオリンピックで金メダルを獲得した時が人生で最高に幸せな瞬間だったでしょう?

「『瞬間』という言葉を使うなら、そうですが、そういう瞬間は過ぎていくものです。みんな終わったことです。今は、試合や練習からくるストレスがなくなったことのほうに、ずっとしあわせを感じます」

――私が見るところ、大きな試合でも、あまり感情を顔に出しませんね。あんなに若いのに、どうしてそんなことができるのだろうと考えていました。

「よくつかわれるいい方をすれば、“冷めて”いたのです。失敗をしても、成績が悪くても、すぐに忘れました。一つのことを深く考えたことがありません。気の弱いスケーターにとっては、どれほど沢山のセラピストがつこうと、うまくいきませんが、私は他の人たちが、心配をしている時でもリラックスしていたように思います」

――本当ですか?心のかなり深いところでも不安になっていませんでしたか?

「動悸が高まるのを感じるのは、コンディションが完璧でないときや、うまくできる確信がない時です。外から見てもわかります。表情が固まって、静かになり、緊張しています。準備が万全の時には落ち着いています」




                                       つづく

                                   



今日は最後までお読み下さり、ありがとうがざいました。
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