たくさんのコメントを、本当に有難う

ございます。小さな幸せを見つけながら、

毎日 少しずつ、何とか生きています。

皆様もご自愛下さいね。

 

昨年の今頃。今思えば私も行動がおかしく

なって行っていました。いちさんは過去を

振り返る機会が増え、「あの時は楽しかったね、

ありがとう」と改まって急にお礼を言われたり。

 ↑いちさん撮影のお気に入り画像より。

 

楽しかった写真などを見せてくれたりも。

通常ならば、笑顔で過去を語れる筈なのに。

何だか命の終焉に向かっている感じがして、

それを全力で拒絶する自分もいたので…。

 

心が引き裂かれそうでした。

最期に近づくのなら、しっかりしなければ!

という自分と、奇跡を諦めるとその時が

より近づく気がして、違う違うと否定する自分と。

急に立っていられない程の動悸や腹痛があったり、

身も心もズタズタでしたが、誰にもそれを

悟られてはいけないと、一生懸命に笑おうと

日々努力をしていました。

 

ですが、その笑顔は作られたものだと

いちさんは見抜いて、私にはより優しくなりました。

そんな中、食欲がなかったのに、急に私の料理を食べたいと言ったり。アップダウンも増えました。

いちさんのアップダウンについて、義母は、

ろうそくも燃え尽きる前には、大きく燃えるから。

と言ってて、色々タイミングに差し掛かって

いたのでしょう。祈る様に毎日を過ごしました。

 

昨年はこうして心も病んでしまっていましたが。

どうして辛い時でも笑顔で写真が撮れるのですか?と多くの方からご質問を頂きましたが。

涙を隠すために笑う人も多いかもしれません。

いつも笑顔の人は、見えない所で泣いている

かもしれません。優しいと思う人は、見えない

所では我慢をしているかもしれません。

普通に見えて、苦しんでいる方も多いのだと…。

そして誰にも平等に時が薬になるのでしょうね。

 

いつもありがとう、いちさん。

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