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まだ小学校にも行かなかったころ、ラジオでかかる、ある歌に違和感を持っていました。
わたしは、好きでもない歌謡曲を、遊びに行っていない時は、祖母とラジオで聞いていました。
歌謡曲がメインでしたが、一曲だけ「この曲は歌謡曲じゃない」と、心の中で呟いていました。
「長崎の鐘」というタイトルです。
「なにか堅苦しくって、面白くない歌だな」と想いながら聴いていました。
歌詞の中に、何を込めたいのだろうと。
けれど大人となり、好きな曲をネットで探している時、この「長崎の鐘」とまた出会いました。
なんとなく見てみると「あたらしき付き」という注釈があるものもあります。
何だろうと検索しました。
そしてこの「長崎の鐘」は歌だけではなく、長崎医科大学の永井隆博士が、長年取り組んでいた放射線の影響により、被爆前にすでに白血病を患い余命宣告も受けていましたが、原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、被爆者の救護活動に当たる様を記録した作品でした。
それは歌にもなり、作詞がサトウハチローさん、作曲は古関裕而さんで、藤山一郎さんが歌っていることを知りました。
それ以来、わたしの内面に突き刺さる歌の一曲として、忘れることが出来なくなりました。
歌が完成した時、永井隆さんの病室で、藤山一郎さんが枕元で歌われたそうですが、永井隆さんはそのお礼として短歌を作られ、その短歌にも曲がつけられ、下記のように表示されていたのです。
長崎の鐘(あたらしき付き)
永井隆さんの記録作品は、もう著作権が切れていますので、「青空文庫」に収録されています。
お時間がありましたら、読んでいただければと思っています。
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2010年08月09日(以下の前回ネット書き込み日)
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(C)Sandino.All rights reservrd.
いまその瞬間まで、
語らっていた人、
笑っていた人、
悲しんでいた人が、
消えた。
高熱と、
炎に、
消えた。
抜け殻さえも、
残せず。
「いつかきっと帰っていらっしゃるのです
私の美しい痴呆の虹は消えませぬ
町の人は〝もう百ケ日〟だと云います
ばかな! あなたが死ぬなんてこと
私には夢がもっとも現実なのです
・・・ 」
町田トシ子
1945年8月6日、
「広島」が「ヒロシマ」と、
なったように、
1945年8月9日、
「長崎」は「ナガサキ」と、
なった。
今日の俳句
虚蝉の樹皮渺渺と亭午灼く
ウツセミノ ジュヒビョウビョウト テイゴヤク
補足
「虚蝉」蝉の抜け殻。魂の抜けた虚脱状態。
この世に現存する人間
「渺渺」広く果てしないようす
「亭午」正午
