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(2000/6/16 子ども関連MLへ投稿)
25日・27日・28日の三日は、俳句ブログには投稿していなかったため、上記日付のメーリングリストに投稿したものを、三度に分けて書きます。
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なぜかこの六月の朝、「墓碑銘」という言葉が浮かんできました。そしてこの墓碑銘という言葉から、ある二つのことを思いだしました。
ひとつは、北米で路上生活をしてる子ども達の支援をしている「カサ・アリアンサ」のウエッブページ(http://www.casa-alianza.org)についてです。
このことネット上のページは、ずいぶん以前になりますが、日本で一緒に支援活動しておられる方から教えていただきました。
わたしは英語が不得手なもので、きちんとカサ・アリアンサのページを覗いていなかったのです。
このカサ・アリアンサのあるページに、国別に亡くなったこどもたちの名前が並び、その子についての簡単な話が載っています。
死んでいった、不法な暴力により殺されていった無名のこどもたちの「墓碑銘」
もしここにこうして名前が載っていなければ、彼らが生きていたという事実すら、すべてがなくなってしまっていたでしょう。
時々このページに行き、こどもたちの名前を読んでいきます。口惜しみがこみ上げてきます。
もうひとつは三月に行った沖縄でのこと。ひめゆり祈念館にも、ひめゆり部隊の少女たち一人ひとりの顔写真と、彼女たちがどこでどのように無残に、その生が絶たれたかが書かれています。
少女たちの、無念の、幼い死。
訪れた人たちは、そのうち数人の顔写真だけを見て通りすぎて行きます。
わたしは、一人ひとりの少女と、心のうちで会話をしながら、全員の写真とその死について掲載されている壁に沿ってまわりました。
団体旅行とは異なり、こうして全員の少女と向かい合うだけの、幸運な時間を持てたからなのですが。
しかしひめゆり部隊以外の、看護部隊の少女たちは、訪れる人もいない石碑だけで、その生きていた証とせざるをえないでいます。
沖縄で死を強制された、こんなにも多くの少女たちの、《無名の死》。
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