今日令和4年3月31日をもって、27年間の教諭生活が終わります。

 

10のうち9は辞めたい気持ちでいっぱいだったけれど、残りの1がいつも留まらせた。

そうやってやってきた。

辛いこと、苦しいこと、いっぱいあった。

初任の頃はミスばかりでしょっちゅう親に怒られた。

「先生をみてると誰でも先生になれる気がする」と小2の子に言われた。

納得の頼りない先生だった。

毎日泣いて先輩の先生に慰められた。

クラスがまとまらなくて胃の痛む思いもしょっちゅうした。

でも辞めようと思わなかった。

 

5人だけのクラスをもったこともある。

外に教科書を持って行って青空教室をした。

ブランコにのりながら教科書を読んだ。声が空に飛んでいくようだった。

運動会は村の運動会。

子どもだけで無く、親、じいちゃんばあちゃん、保育園生、中学生、先生…みんなの種目があった。

その準備が楽しかった。

 

10年を過ぎると、県の仕事をする事もあった。

大事な仕事を任されて、ちょっと格好いい気分もした。

でもちゃんと仕事はできてなかったかな。

でもやっと教員になれた気がした。

 

高学年を持ったとき、いじめや人間関係の複雑さに胃が痛い日々だった。

でも話をし、話を聴くことで、子ども達が納得して、段々と変わっていく姿を見られたのは嬉しかった。

あるクラスの時は何でも挑戦できる子ども達でこっちもやりがいがあった。

初めて種からパンジーを育てた。

冬、晴れた日はプランターを外に出し、夕方しまう作業を繰り返して、自分達で育てたパンジーで卒業式をかざった。

誇らしい気持ちだった。

合唱コンクールに出るために、何時間も授業を潰した。

子ども達のお陰でコンクールに連れて行って貰った。

運動会の組体操で「五重の塔」を作った。

怖さから「どうしてもやらなくちゃいけないんですか」と訴えてきた女子がいた。

はっきり答えられなかったのに、その子は次の日「私はもう泣かない。頑張る」と日記に書いてきた。

子ども達の根性をみた。

 

いじめがおさまらず、感情的になって数人の子の頬をたたいたこともある。

夕方管理職と謝りに歩いた。

責め立てた家は一軒も無かった。

 

終盤は1,2年が多かった。

入学式の日のキラキラした瞳はたまらなく可愛い。

でも勉強が難しくなってくるとつまらなそうな顔になってしまう。

ごめんね。

 

 

先生になれて良かった。

私が嫌だった子もいただろう。

私に教わらなければもっと伸びた子も居ただろう。

そう思うと申し訳ない気もする。

でも先生と呼ばれて、子どもと勉強したり、川で遊んだり、野菜を作ったり、ダンスをしたりした日々は楽しかった。

青空とひだまり、山や川、花や虫…キラキラと輝いて思い出されるのは過ぎた日々の美化かもしれない。

 

辞めるのは悔しいけれど、今の私には今の学校は難しすぎる。

またいつか元気をチャージして、教壇に立つ気になれるだろうか。

それはわからない。

ただ確かなことは、私は先生をやることができて幸せだったと言うことだ。

さようなら、そしてありがとう。

 

「古い夢は置いてゆくがいい 再び始まるドラマのために」

銀河鉄道999のテーマが私を後押ししている。

 

思い出は胸にしまい、前を向こう。