北の守護神の‘攻城記録’-興国寺:石碑

北の守護神の‘攻城記録’-興国寺:土塁



北の守護神の‘攻城記録’-興国寺:空堀



築城:15c後半 今川氏




形態:平山城




説明:

愛鷹山の山裾が張り出した尾根を堀切で断ち切り、周りは浮島沼という湿地という要害に加え伊豆と甲斐を結ぶ交通の要衝であったこの土地に築かれた城。室町中期には築城されたとされ、『北条五代記』によると1487年に今川氏の客将であった伊勢盛時(のちの北条早雲)が今川氏の家督争いの活躍によって与えられて旗揚げしたとされる。盛時は韮山城に移り関東へと勢力を伸ばしたが、その後は北条・今川・武田が奪い合った。武田氏滅亡後は松平氏が支配したが家康が関東に移封すると豊臣家臣の中村一氏が入城、関ヶ原の戦い以降は天野康景が入封するが改易となったため1607年に廃城となった。

現在は国の史跡として指定され、本曲輪やその周りの土塁、天守台とその裏の大堀切などが保存されている。




感想:

車だと国道一号線から曲がって突き当り、電車でも原駅からまっすぐ北上するだけという非常にわかりやすい位置にあります。当時はおそらく本曲輪から東海道を見ていたのでしょうね。現在は観光しやすいように整備もなされているし、土塁や空堀の大きさはなかなかのものです。大手とは反対側の北側は昔湿地帯だったようなので防備はすごいなぁという感慨にふけりたいところですがすぐ近くを新幹線が頻繁に通るので落ち着いて静かに回ることができないのが残念です。



おすすめ度:★★★☆☆



撮影:2011.12/29 (①石碑 ②土塁 ③空堀)












行き方:JR原駅の1本東側の県道165号を北上、突き当り。