○日本100名城



北の守護神の‘攻城記録’-広島:天守

北の守護神の‘攻城記録’-広島:門

北の守護神の‘攻城記録’-広島:水路





築城:1589年  毛利輝元



形態:平城   天守:複合連結式望楼型55



説明:

毛利元就の孫の輝元が太田川の河口に百二十万石にふさわしい城として聚楽第を参考に築城。関ヶ原の戦いで減封された輝元に代わって、城主となった福島正則により改築が行われる。その改修が江戸幕府への無断改修とみなされて1619年に正則が改易されると浅野氏が入城、250年間居城として使う。その間、内堀・中堀・外堀のある約1km四方の広大な城であった。明治維新後の1894年には日清戦争のために大本営がおかれたため、現在でも縄張り内に大本営跡が残っている。1911年に外堀が埋められ、1931年に旧国宝に指定されるが1945年の原爆で建物は倒壊、瓦礫で中堀が埋められて現在の規模になった。

現在は復元天守が建っていて、平櫓・多聞櫓・太鼓櫓や二の丸表御門などいくつかが木造で復元されている。



感想:

広島駅から歩くとけっこう距離がありますが、私みたいに路面電車が珍しい人は路面電車で行ってもいいかもしれません。外観復元天守なのですが、外壁が木造なのが何とも言えずいいですね。他にも二の丸表御門や多門櫓などが木造復元されていて、櫓の矢狭間からは外を覗くことができます。その二の丸表御門の南側の地下道の壁に内堀と中堀をつないでいた水路跡が保存・展示してあります。昔はこれが水位を調節していたのですね。周りに観光地が多いので城好きの連れではなくても一緒に観光できる城です


おすすめ度:★★★★☆


撮影:2010.1/9 (①天守 ②二の丸御門 ③地下水路跡)