○日本100名城

北の守護神の‘攻城記録’-岐阜:天守

北の守護神の‘攻城記録’-岐阜:石垣


北の守護神の‘攻城記録’-岐阜:石碑


築城:1201年 二階堂行政


形態:山城  天守:望楼型3層4階


説明:

鎌倉時代に二階堂氏が稲葉山に砦を築いたのが始まりで、15世紀の中頃になって斎藤氏が居城としたことにより稲葉山城となった。斎藤道三が息子の義龍によって敗死、義龍も急死すると龍興が城主になるが、竹中重治らに落城させられるなど抗争が続いた。そして1567年に木下藤吉郎が墨俣城などを利用して攻略、織田信長が入城すると岐阜城と命名し天下布武を唱えた。しかし織田秀信が関ヶ原の戦いで西軍に味方したため東軍の福島正則らに攻められ落城、徳川家康の命令により1600年に廃城となった。

現在は復興天守が建てられて、石垣の一部や土塁・井戸などが残っている。城が建っている金華山までは登らなくても山頂までロープウェイで行くことができる。また、山麓には信長の館跡が発掘調査されている。


感想:

信長がここから天下を目指したのがよくわかる眺めで、濃尾平野を見渡して東海道を東西に見ることができます。ロープウェイで登れば時間はかからないですが、その車内からでも途中の傾斜のきつさなどは見ればわかります。この城がなぜ都合7回も落城したのか不思議だし、逆に落とした竹中半兵衛などのすごさも実感することができるはずです。ただし、城自体は復興天守で展示物も特異なものはないので、地形や縄張りを楽しんでほしいと思います。もしくは金華山のハイキングを楽しむのもありですね。金華山までは岐阜駅からバスで行けます。

2007年に行ったときには気付かなかったのですが、ルートを変えると違った遺構がみられるので行きと帰りのルート(山頂駅~天守までの)を変えることをお勧めします☆


おすすめ度:★★★★☆


撮影:2011.8/30 (①天守 ②山麓石垣 ③信長居館跡石碑)