「時間」は「命」だと思う
だから、家族に費やす時間というのは、つまりは自分の命を費やしているのと同じだと思う
それを周りがどれくらい理解してくれるか
理解してくれる人が周りにたくさんいればいるほど、家庭はあたたかな空気に包まれるのかな・・・![]()
ケアはもちろんのこと、毎日、家族を想って食材を買い物しに行ったり、家族が喜ぶ顔を思い浮かべて、好きそうな食事を考えて作ったり、気持ちよく過ごせるように家の中の出しっぱなしをちょこちょこ片づけたり、部屋の装飾を季節を感じられるようにしてみたり、時に話に耳を傾けたり・・・家事は日々の繰り返し
主婦の仕事や、母親としての仕事って、直接、自分の将来につながるとか、お金になるとかではなくて、常に相手を想ってやっていることだと思うから
命をささげてきた
そういうことを理解してくれる人が
増えていったら、私たち母親、主婦の日々は、もう少し、心あったかい毎日になるのになって思います
とくにうちの場合は、娘といつまでも一緒にいられるわけではない。
将来、娘と旅行やお買い物行くぞー!それまで頑張るぞー!とか、夢見ることも難しい。小学校の発表会みたいな、子育てがんばってきた親への「ご褒美」的な機会があるわけでもない。
モチベーションを自分自身で探していかなくてはいけなくて、
一方、頭の片隅で、いつか来てしまう娘とのお別れを考えながら、娘の命と向き合いながら毎日の介護を続けること、
そこに命をかけるって、すごくすごく勇気がいるんだ
それこそが家族への愛だと思ってきた。自分の時間も人生もささげてきたから
外で仕事する人と、家庭を守る人。
家庭を守る、それが自分の仕事だと思って。
仕事をする人が集中できるように、自分はできることは頑張って家庭を守る、できる限り娘は自分で見る
当然のように思ってやっているけど、心折れる時だってある
そんなにモチベーション保てなくなる
私のように寝たきりで重い障害のある子を24時間介護しているお母さんたち、現実的に満足に仕事ができない方は、一人の人間としての自分の幸せってなかなか考える暇もないけど
ふと、主婦でもない、妻でもない、お母さんでもない、私一人の人間として楽しいと思えたり、一人の人としての幸せを考えた時、介護に1日17-18時間費やす毎日の中で、社会から離れてしまった自分、この先、どうなるんだろうって不安が生まれると思う。うちはできないけど、子供を預けて、仕事ができるってすごく幸せなことだと、娘を介護しながら思っている。社会から孤立しないってこと。
育児や主婦業って実際にはなんの稼ぎにもならないし、私の将来に何になるのかなとか考えたら本当に不安で怖くなるとき、あるよね。社会が、周りがそれをどれくらい理解してサポートしてくれるかはとても大きな支えになる
母親も、社会につながる時間をもつことで、頭の中もリフレッシュして家庭も明るくなるんじゃないかな
年々老いていく自分の体や、鈍くなっていく頭の回転を実感しながら、この子がいなくなったら、どうなるのかなって、不安を持ちながらも、覚悟を決めて、自分の時間、命をかけて、面倒をみている
犠牲にすることもたくさんあるだろう
普通、健康な小学生の子供がいたら、きっとママ友も数人できて、たまにはランチやディナーにも出かける時期だろう。仕事も復帰しているだろうし、仕事をしていなかったとしても、趣味や家族や友人との時間も増えていくことだろう。そういうことができずに孤独な引きこもり生活がつづいている。普段は必死で、そんなことうらやましいとか思わないけど、ふと街で歩いているママたちを見て、自分との違いを感じて愕然としたりする
いろんな不安がある中でも、家族、子供を想うってこと、自分の時間(命)をささげることで表現してきたつもりだ
これからも信念をもって、覚悟を決めて、守っていく
娘がこの世に生れたこと、そして今、生きていることにはちゃんと意味があるのだから。産んだ親が、子供を信じて、命を守るのは当然なのだから・・
さて、色々ともやもやを吐き出して、すっきりしたところで
話変わります!
最近は、娘の無気肺撤廃プロジェクトを立ち上げて、これまで以上に支援者の方と
うつぶせを長めにやったり、お椅子に座らせたりして、痰を出すことを一番に生活しているので、ますます自分の時間がなくなってしまった。週末も1時間くらいしか自由時間がなくなってしまった・・・でも、何もしないわけにもいかないし・・・
看護師さんがいる時間に休めないと、早朝と夜中のケアがめちゃくちゃ大変で。
眠くて仕方ない・・・1日中しんどい
こんなに1日が早い、深く考える暇もないです
とてもネガティブな夜でした
明日は私もリハに行って、明るい1日にするぞ