嬉しい・・・ただただうれしい・・・やっとブログを書ける日が来るとは!!!
この1か月、あまりにも忙しかったです
心も体も、時間に追われる毎日で、いっぱいでいっぱいで。
座って1時間も!ブログ書けるなんて、本当に幸せ
1か月ぶりの自分のための吐き出す時間
ケアとケアの合間に書いているので、変な文章になるかもしれないけど、できるだけこの1か月の娘との時間を振り返ります!
娘は、1か月前に久々に尿路感染にかかって、最初は、とくに変化なかったのですが、しばらくしてから呼吸状態が不安定になり、そこから今日まで、毎日、毎日、不穏な気持ちで、心配がずーーっと尽きない日々でした![]()
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訪問学級もしばらくお休みでした 涙![]()
まず、我が家のケアで大変な事:
娘の体調管理が難しいところ=「感染や体調不良でお熱が出ないこと」
なので、バイタルや尿、便、胃残などの日々の細かい変化をケアする側が読み取っていかないといけないのです
ただこれまでの経験上、「バイタルの変動」が大きなサインとなっていました
つまり、これまでの娘は尿路感染すると、
ーサチュレーションが悪くなるか脈が高くなるー>往診医に報告ー>サチュレーションが悪い場合、往診医の採血をまたずに、早めに抗生剤開始ー>往診で採血(CRP測る)ー>たいてい読みが当たりで感染している
この流れで、確実に感染を早めにコントロールしてきました。
でも、今回は、違いました![]()
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最初はずっとサチュレーション正常、脈も正常でした
唯一の変化として、「おしっこが濁る」、「体を右上にした完全側臥位の時、サチュレーションが下がり気味になる(でも下がらないときもあり)」この程度でした。
なので、「体調よい!」と思って、S病院の定期受診に連れて行きました。
ところが、S病院の尿検査で、尿たんぱく/CPの結果が悪く、念のためCRPを図ったところ0.25と低かったのですが、たんぱく尿なども+2、白血球も高いことから、S病院の医師からは、早めにということで、抗生剤のケフラールが処方になりました。娘は、抗生剤を飲むと必ず下痢するので、母はなるべく飲ませたくなかった。バイタルが正常なのに・・・とその日はためらったのですが、受診後の夜中からサチュレーションがふらつき始めたので、あきらめて飲み始めました。娘、S病院の受診に合わせて感染を教えてくれるなんて、すごいな!と思いました
すぐに良くなるだろうとわりと軽く考えていたと思います。でも、いつものように抗生剤では、お腹をひどく壊しました・・抗生剤ケフラールは1週間で終了。自分の中で、終わったものとなっていました。
でも、抗生剤終わって、1週間ほどして、妙に尿量が減ってきていることに気が付じきました。(我が家は尿、便の量、すべて計測して毎回導尿やブジ―のたびに、記録しています)。そして、尿の混濁、濃縮尿もたまにありました。さらに、完全側臥位の時のみバイタルがふらつくのは変わらずでしたが、そのふらつき方が少し顕著になっておりました。ー>S病院に電話で問い合わせしたところ、前回の、尿培養検査の結果、ケフラールが効かない菌が出ていたことが発覚![]()
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ー>在宅の往診医を呼んで採血ー>CRP4.2ー>抗生剤のバクタ―開始ー>1週間で抗生剤、終了しました
今回は、バイタルがふらついたのが、かなり後になってからだったので、感染の発覚が遅くなってしまいました・・・泣 ごめん。娘。
また、抗生剤のケフラールを1週間投与したのですっかり良くなったと思ったら、実は、ケフラールの効かない菌が尿培養で出ていたことがかなり後からわかり、その時には、CRPが4.2と、高くなってから、また新しい抗生剤バクタ―を始めることになってしまいました・・・抗生剤の使用が長くなったことでお腹がやられてしまいました。
バクターは初めての抗生剤でしたが、これまでで一番強烈、強力な影響を娘に与えました。投与中の下痢や腹部の張り具合はこれまでで最悪・・・ブジ―の回数を追加しました。ガスがすごい・・・
そして、投与終わってから4-5日してから、顔と腕になぜか赤い薬疹が出てしまいました。さらに、この薬のせいでAST(肝機能)がそれまで60台だったのが、190台まではね上がってしまってました。よほど、肝臓に負担がかかったのでしょう。分解できず、薬疹となって出てしまったのかもしれません。
CRPは1週間程度で陰性に下がりましたが、サチュレーションのふらつきは、しっかり横を向けるとふらふらー、反対に向けてもふらふらーとして、その状態が抗生剤が終わっても続きました
尿路感染が収まってからのバイタルのふらつきは、私も娘の支援者もとても不安な気持ちにさせるものでした。通常の娘のバイタルは、在宅酸素0.5Lでサチュレーション98-100を常にキープできる子供でした。でも、この時の娘のバイタルは、横を向けると、なぜか100から95くらいまで、サーっと落ちていく感じで、酸素を上げたりバギングという手動の換気法で肺を膨らませたり、カフアシストという排痰装置を使ってお胸を広げてあげたり、いろんな方法で動かそうとしましたが、明らかにいつもと違いました。そして、とても体がむくんでいました。むくみがどこから来ているのか今も分かりません。でも、その時の私たちの憶測は、感染していた時の影響で、体や気道がむくんで、横向きにしたときに顕著にサチュレーションがふらつくのかな、と考えていました。そもそも正解など分からないので、憶測をもとにベストなケアをするしかありません。
ちょうどそのタイミングで、呼吸器の機種変更のための入院を決断するタイミングが来てしまいました。。タイミングが悪すぎました![]()
私は、内心、どうしようか、毎日毎日悩み続けていました。今、入院するべきかどうするか・・・
体調が完全に治るまでまつか、このタイミングで入院してしまうか・・・
ずっと悩んでいたのですが、娘の体調がかなり良くなっていたこと、CRPが完全に陰性だったこと、尿検査でも尿蛋白などが出ていなかったこと、往診医としては、感染はもう収まっていると考える、としていたことなどを理由に、入院することに決めました。この時の、懸念は、唯一、右上の横向き(左が下)にしたときになぜかサチュレーションがふらつく、でも、毎回ではない、そして反対向き(左上の横向き)の時は全く問題ないので、これは体調の回復とともに良くなっていくだろうと考えていました。ほぼほぼいつもどうりだったからです。今やらなかったら、もうやらないでしょうと医師からも進められました(その通りですが・・・)また、呼吸器を新しいものに変えたら、逆に新しい呼吸器の方が馬力があるため、横向きで下がることがなくなるかも、というちょっとした前向きなアドバイスももらいました。「それは良いかも!」と単純に思いました。そして、完全横向きでサチュが下がるという点においては、一度CTを受けて肺の状態を評価しておく必要もあると先生はおっしゃいました。
でも、今から思うと、別にこのタイミングで入院しなければよかったと、後悔しています・・・
数日後から付き添いでの入院が始まりました。母は徹夜覚悟です!
荷物は、多すぎて、病院のスタッフさんにもびっくりされました。
いつものキャンプカートに入りきらず、病院のカートを借りて、運びました。
介護タクシーのお兄さんも、タクシーの中の車いすに荷物載せてくれたりして。全員総動員です。これに加えて、帰りは、古い呼吸器も持って帰ってこないといけません・・・ぞっとしました![]()
着いたらすぐに、業者が待っていて、呼吸器を付け替えました。その後、血液ガスの検査。私が、少し下に買い物に行って帰ってくると、すでに病院は呼吸器圧の設定を2段階下げていました。病院としては、二酸化炭素の吐け具合をチェックして、二酸化炭素がはけすぎているということで、呼吸器の圧を2段階下げたという説明でした(17から15へ)。でも、その後から、娘の呼吸はなんとなくいつもより元気がない感じになっていました。私は、「自宅とは違うんのですが」、と細かく伝えましたが、検査結果上、問題ないし、これ以上上げることはできない(二酸化炭素の観点から)という説明の繰り返しでした。ー>これは退院してから、なぜいきなり2段階も下げたのか、と疑問に思いました。この圧で6年もやっているんだから、たとえ下げるにしても1段階からではないか、と。もう遅いけど・・・
不安定なまま、夜を過ごしました。
翌日、CTを受けました
ここで、なぜか、運悪く、造影剤が漏れて、娘の腕が見たこともないくらいパンパンに腫れあがりました・・・
誰も気が付いてなくて、数時間後に私が見て気が付きました。早く冷やしてあげないと・・・焦りました。腕も手も全く曲がらなくなっていました。こんなパンパンの腕は初めて見ました。棒みたいで、死んじゃったみたいでした。
そして、さらに最悪なことに、点滴のルートを手から外すとき、娘の手の表皮まで剥がしてしまったそうで、娘の小さな手は、表皮がはがれて、真っ赤な血が出て、怪我をしていました。そして、それを発見したのも私でした・・・検査が終わって、数時間後も経っていました。
すぐに看護師さんに報告して、先生が皮膚科の先生を連れてきて、先生みんなの前で、説明を受けました。経過を見たいから、入院を延期できますか?と・・・
その時、すでに午後の17時で、今から退院の延期なんて、難しい(支援者をまた確保しないといけない。簡単に動かせる子ではないので介護タクシーや、ヘルパー、看護師の手配が今から延期しても間に合わない)
先生は
「では、翌週月に診察に来られますか?」と・・・・
「それも、支援が整わないと無理で、いますぐ答えられません」とお伝えしました
でも、「じゃ、これ放置したら最悪どうなるんですか?」と恐る恐る聞いたら
「壊死します」と・・・・
壊死???「壊死したら切断ですか???」
泣きそうでした
なんでー?!頭の中、大パニック![]()
周りの先生4人くらいいたけど、だれも口挟まず・・・・
「では、入院延期したら、何をされるのですか?」
と聞いたら
「経過観察ですね・・」と。
明日金曜だけど、その後、土日だし、、、、
しばらく、はげしく考えたけど、
「それだったら、退院します・・」
とお伝えしました
往診の先生には、すぐに病院から連絡してもらうことにして、
私はいつも相談している皮膚科の先生に診てもらおうかと即座に考えていました
ただ、経過観察のために入院なんてしていたくない
呼吸状態も良くないし、一刻も早く帰宅したい
そう思っていました。
入院中は、不安定な娘が心配で、ケアも看護師さんに教えたりしないといけなくて
ほぼ眠れず、サチュレーションも、腕の腫れも、手のけがも全て心配で・・・
個室でしたが、娘の体温は常に35度台から上がらず、
姿が見えなくなるくらい、ブランケット、電気毛布で計4枚と避難用のアルミで体をぐるぐる巻きにして過ごしても、脈が初めて50台になりました![]()
50台なんて、なるの??!
そして、造影剤が漏れた個所を冷やさないといけないので、キンキンに冷えたクーリングをしていたら、体温は最後34度台になっていました。クーリングの上に、電気毛布・・・・本当にかわいそうだった。。クーリングで棒みたいな腕が冷え冷えになって、全然硬さが変わらず、凍傷になるんじゃないかと思いました
呼吸も、サチュレーションが不安定で、酸素も上げたり下げたり、何より痰が取れなかった。。。
呼吸器の設定圧が低いから、胸も上りがとても悪い気がしました。
呼吸器の換気をあらわすVtiって数値も、いままで150-180だったのが
90くらいにしかならなくて・・・「これでいいのか?何かおかしい」
とても不安な気持ちのまま退院しました。
退院してから、往診医が何度かきて、結局、これまでの圧より一つ上げた圧で調整がいったん終わりました・・・今、様子見です。
結局、二酸化炭素の吐け具合うんぬんより、胸の上りやサチュレーション、
痰の出具合が重要だと。。。
結果:
入院して圧を今より2段階下げる
退院して圧を3段階上げる
・・・・・・
これなら、入院しないで家でやってあげたらよかったと心から後悔しました。
結局1週間以上、低い圧の呼吸器で過ごしたため、いまだに、娘の呼吸状態はあまりよくなくて、こまめな排痰が必要になっています。相変わらず、右上にした完全側臥位ではサチュレーションは100-95くらいまですとんと落ちる状況が続いています。むくみは過去最悪です。そして、脈が低くて、まだ入院気分みたいで・・・
29度の温かい部屋でも、ずっと35度台から上がらず、脈もベースが10くらい下がってしまいました。相談している看護師さんも、脈の低さは心配していて、心不全とかを調べたりしています。
でも、、ようやく、もとの彼女にもどりつつあるような感じがしています。
心配しつづけた1か月。。。母は10歳くらい老けた気がします。
入院しなくてよかったね。。。色々後悔がつきないね。苦労かけて本当に申し訳ない
涙した日もあるけど、とにかく現実を受け止めて前に進むしかないんだ
今日は、久しぶりに近くだけど、娘が落ち着いている時間に
お買い物に出られたし、本当に良かった。ありがたい
幸運にも、腕の張りは引いたけど、怪我はステロイドを毎日塗ってガーゼで保護してあげてます。絶対に壊死なんてさせない!
濡らさないように、お風呂の時はビニールでくるんで・・・ベッド上で腕だけ洗う
無気肺が進行してしまったので、うつ伏せの時間を増やすのと、ムコフェリンの吸入を増やしました。
ここまで排痰がんばっているのに、なんで、こんなに肺が真っ白なんだろうか・・・
往診医も、ちょっとがっかりした様子だった。もちろん私たちもショック
手が抜けないなぁ。。って思った
うつ伏せの時間をもう少し確保できるようにしていかないといけない
はー
少なくとも30分はうつぶせはやらないと、痰が落ちてこないんだよね。
最近、いっぱいいっぱいでなかなか30分取れなかったりしたけど、これからは
もう少し回数を増やすのと、やるなら、ちゃんと30分はやろう!
覚悟した母でした
ケアをしないといけない時間なので、続きはまた
ここに帰ってこられて良かった![]()