今日の午前中は、先日予定を変更して、部屋の荷物を運んだ後の掃除を手伝ってもらった妹の施術に。

午後はサロンの荷造りを手伝ってもらおうと思っていたら、朝妹から電話で、

「お母さんから、“お父さんが玄関で倒れて救急車呼ぼうか考えてる”という電話があった。」

と言われてびっくりして、妹に迎えに来てもらい、あわてて2人で実家に。

ここのとろ、新居の打合せと引っ越しの準備と仕事に追われて実家のことは妹に任せきりで、帰ったのは久しぶり。

さいわいたいしたことはなくてほっとしたのだけど、だんだん年老いていく父を見て、少し寂しくなりました。

もともと寡黙な父なので、自分がどうしたいのか、どうして欲しいのかほんと言わない人で、

いつもにこにこ穏やかで、それがもどかしくもあるけれど

でも、自分の大事な人がただいてくれるだけで、本当に幸せなんだなあということを、改めて感じました。

父が元気でいてくれるだけで、それだけでじゅうぶん。

幸せって、自分だけでなく、自分が大事な人も元気である上に成り立っている。

だったら、この瞬間も奇跡的だし幸せ。

今日は午前中は妹の施術で、午後はお休みにしてたからすぐ駆けつけることも出来て。

ありがたいことに、いつもこんな絶妙なタイミングで。

前から頼まれてたカーテンレールの付け替えも、2人で行ったので済ませることが出来ました。

今日は、最悪な日で最高の日。

でも、1日はただの1日。

最悪も最高も、結局は自分が決めるよね。

毎日朝晩神棚に、祝詞に続いて、

「今日も無事に過ごせましたことを、感謝いたします。
いつもこの家と私たちを御守りいただいて、ありがとうございます。」

と完了形で唱えています。

お経は朝に。

寝るときお布団に入ったら、神様仏様や、今日関わったすべての人に感謝して寝ています。

祝詞は、新築した家に神棚を作ったときから。

お経は義母と仏壇を引き取ってから。

普通に手を合わせていたけれど、先祖供養に観音経と、厄除けに般若心経が良いと聞いてからそのお経を。

お祈りは、通っていた保育園がカトリックだったので、子供のころからなんとなく。

別に何を望むわけでもなく、してると気持ちが落ち着くから。

これだけしてるから、守ってもらえないわけはない

という絶対的安心感がありますが、

こういうことがあると、感謝の思いも深くなるような気がします。

今日は雨もすごかったから、お客様の道中のお車の運転の心配もしなくて済んだし、帰りにスーパー寄ってもらって、サロンに行くのはやめにして、午後はのんびり過ごしました。

何事もないのが、本当に幸せなことだと、しみじみ感じた1日でした。

毎日平穏無事でいると、そういうこと、時々忘れちゃう。

それを確認させたかったのかな。