- 今日は67回目の終戦記念日。
- 亡くなられた方の冥福を祈るとともに、今在ることに感謝する日。
- 天皇と特攻隊/太田 尚樹
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天皇と特攻の複雑で微妙な関係を検証する!
天皇の存在なくして特攻なし。天皇は特攻をどう受け止めたのか、指揮官は天皇の存在をどう意識したのか、戦死した若者は天皇をどう自己の中に昇華させたのか――
天皇は特攻をどう受け止め、指揮官は天皇をどう意識し、特攻隊員は天皇をどう昇華させていったのか!?特攻とは何であったか―いまあらためて、登場人物たちの“本音と建て前”に基づいて徹底検証、歴史の空白を埋める。
またまた図書館の、「どこに返してよいかわからない本を置く棚」に置いてあった。
大人になるまで、「天皇」という存在に関心がなかった。
古事記や古代史を改めて読み返すようになってから、引き寄せでいろんな情報が入ってくるようになった。
そしてなぜ靖国神社のことを毎年この時期になると取沙汰されるのか、子供のころはわからなかった。
靖国神社が、戦争犯罪人だけでなく、従軍看護婦や女学生や、学徒動員で軍需工場で亡くなった学生や、日本人として戦った朝鮮半島や台湾出身者の方が、身分や男女の区別なく一律平等に祀られているということも知らなかった。
「関心がない」のではなく「関心を持たない」ように教育によって仕向けられていたことも知った。
戦後、アメリカによって日本の教科書は墨を塗られ、歴史から古代史、宗教を抹殺しようとした。
宗教や歴史をを持たない国は亡びる。
一神教は他の宗教は悪だから、虐殺や迫害、植民地化によって改教を迫るけれど、日本は植民地にしないかわりに、洗脳によって精神を植民地化しようとした。
先ずは子供から。
先生も3代変わるとその事実さえ知ることもなくなり、子供たちも3代変わると、戦争があったことさえ知らずに育つ。
20年元旦の天皇の「晴れの御膳」は、「ヒシハナビラ」と呼ばれる、直径15センチの薄い丸もちに、甘味噌とゴボウの煮物を乗せて二つに折ったものと、火にあぶった雉の笹見を酒に浸けた雉酒がつくだけのいたって素朴なもの。
それも、もち米の質が悪く薄黒くなっていたのにもかかわらず、何も言われず口に運ばれたそうだ。
通常の食卓のメニューでも、麦2割、かぼちゃの煮物、ほうれんそうのおひたし、汁物といったところで、酒は宮中行事以外では飲まれないそうだ。
天皇が行幸の際、漁港が近い地元では自慢の真鯛などの高級魚でもてなしたそうだが、天皇が好まれるのはイワシや鯵などの大衆魚で、戦時中はスリッパなども擦り切れたものを使われていたそうで、外部の推測とはだいぶ違っていたそうだ。
なぜ天皇の真意が現地に伝わらなかったか、天皇の文言が省かれてしまったか。
特攻隊を作ったのはだれか。
どうやって第一号が選ばれたか。
どうやって鼓舞していったか。
家族の心情は。
いまある命が、多くの人たちの犠牲によって成り立っていることを思えば、知っておかなければいけないことはたくさんある。
原爆が落ちた広島でも、その事実を知らない子供が増えているそうだ。
亡くなった義父は通信兵として戦艦大和にも乗ったことがあり、別の戦艦に乗っているときに魚雷が命中して船が沈み、足から落ちたおかげで骨折しただけで命が助かった。
病院で治療しているときに、敵が来るというので怪我人は置いて逃げなければいけないのに看護婦さんが動けない父を大八車のようなものに乗せて逃げてくれたそうだ。
義父と義母は、北朝鮮で下りと上りの電車がホームに止まったときに、お互いを電車の中に見つけて命からがら日本に帰ってきた。
義父が置き去りにされていたら、今の夫はいない。
まるでドラマのようだけれど、義父は自分だけ助かった負い目からか自分からは話そうとせず、義母に聞いて、少しずつ話してもらった。
今思うと、もっとちゃんと聞いておけば良かったと思う。
戦争は、生き残った人にも大きな傷を残す。
口に出すのも辛い体験は、そのまま封印され、そして戦争を体験している人が少しずついなくなっていく。
そういう人たちがいたということを正しく知るというのは、何よりの供養だと思うし、改めて平和を考える良い機会になると思う。