今日は、整体のボランティア。

障害者施設と、重度障害者施設の2か所を、今年からご縁をいただいて、交互に行かせてもらっている。

今日は、2月に伺った 重度障害者施設で、声を掛けてくださったhujieさんはもう10年の付き合いになるそうだ。

今日はyoshimiさんと三人で。


職員さんと私たちとで、手の先からさすっていく。

私が担当した二十代前半くらいの女の子は、

「触らせてね。」

と言ってさすっていくと、ものすごくうれそうな顔をしてくれて、またその笑顔がとてもかわいくて癒される。

でも通所者さんの人数のほうが多いので、1対1では出来なくて、あぶれてしまう人がいる。


私の方を見て、「ア~、ア~」と言う人がいて、さすって欲しいのかなと思って、そばに行って背中をさすってあげた。

その方は、たぶん私より年上の女性。

表情がまったく変わらなくて、怒ったような、悲しいような表情をされているので、どうするのが気持ち良いのか、まったくわからない。


背中をさすり、ツボを押していくと、手を払いのけるから、それは嫌なんだなと思う。

脚をさすろうとすると、おしりで前に進んでいくから、それも嫌みたい。

彼女の背中をさすりながら、隣りで寝ている人の背中も一緒にさすってあげようとすると、「ア~、ア~」言いながらじっと私の顔を見るから、「自分一人を見てくれ」と言うのかなと思い、手を戻すと大人しくなる。

最初に担当させてもらった女の子のところに戻りたかったのだけど、結局戻れなかったので、最後にまたさすって帰ってきた。

ひとつひとつ、手探り。


でもその方は、前までは背中以外は触らせてもらえないで、手を触ろうものなら引っかかれたそうだから、手をさすらせてもらえただけでも、進歩。

毎回、勉強させてもらっている。

体もひとりでは満足に動かせず、言葉も喋れない。

伝える術がないから、ちょっとの表情の変化も見逃さないように、集中して、PANARI のサロンに見えるお客様にもこうでなくちゃって、毎回基本に戻してもらえる。


でも表情の変化で相手の意志を読み取るなんて、ものすごく難しいことで、毎日介護されていらっしゃる方は、大変なご苦労をされているのだろうなと思う。


通所者さんたちは、

「こうしたら、どう思われるだろう」

とか、

「せっかく来てくれたから、少しは我慢しなくては。」

というような、普通の人が日常生活を送るうえで相手に持つ感情がないし、視線をそらす、ということもなくて、たぶん本能のままに生きているから、はっと気づかされることが多い。

きっと、乳幼児と同じなのだと思う。

抱いてほしかったら手を伸ばすとか、おしめが濡れて気持ち悪かったら泣くとか、”主は自分”だってことを私たちだって経験してきているのに、成長していくにつれ、「自分が」じゃなくて、「相手が」が先になってくる。

それはそれで、生きていくうえでは大事なのだけど、それで自分を押さえて病気になる人も多いから、やっぱりバランスが大事なのだと思う。。


でも、結局のところ、好きか、嫌いか。

ものすごくシンプル。


ここを触ってもらうのは、好き。

ここを触られるのは、嫌い。

この感覚は、好き。

この感覚は、嫌い。

あなたは、好き。

あなたは、嫌い。


たぶん、そんな感じ。


こちらの価値観は通じない。

「ここを触ってあげたら、気持ちよいだろう。」

と思うのは、単なるこちらの傲慢。

「気持ち良いはてなマーク

って聞くのも、傲慢なんだって気づいた。

それは相手が決めること。

謙虚に、謙虚に。

自分の価値観で判断しない。

そういうことに気づかせてもらって、ありがたいなあと思う。

そしてやっぱり、この仕事が好きなんだなと改めて思うし、また、ものすご~くお仕事がしたくなる音譜



午後からグランシップで、川田薫さんの講演会 へ。


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