- ツインソウル―死にゆく私が体験した奇跡/飯田 史彦
- ¥2,205
- Amazon.co.jp
昨年12月28日、著者は意識障害に陥り、緊急手術を受けた。
しかし、何の障害も残らず、2月には大学に復帰され、現在は前と同じ激務をこなしておられる。
本書は著者は「死にかけた」ことで初めて体験できた「スピリチュアルな世界と深くつながった貴重な学び」の事実報告書である。
第1章では、倒れるまでの物質世界の緊迫した状況が数々の証言によって再現されている。
第2章では、その間、精神世界で出逢った、「究極の光との対話」が余さず記録されている。そして3章では、神秘の扉の中にあるものの正体が解明され、ここに科学と宗教が昇華し、宇宙の真理が明らかにされる。
この書は「ベストセラー「生きがい論」シリーズが、10年目にして到達した頂点といえる。
著者は生命を賭けて出逢った、「究極の光」からメッセージを託されてこの世に戻ってきた。
付録として、著者が倒れる直前、東京で行ったトーク&ライヴ・コンサートのCDがついている
- 同じ題名の
- ツインソウル/越智 啓子
- ¥1,680
- Amazon.co.jp
あなたは運命の人に必ず出会えます!
沖縄在住の人気精神科医・越智啓子氏が手がける、人と人との不思議な絆を解説したベストセラー「ソウルメイトの不思議」の待望の続編が登場!
ソウルメイトより、さらに深い意味をもつ、”もうひとりのあなた”を象徴する、「ツインソウル」。
魂の双子のような存在の人に出会うための人生のプロセスを、越智先生が行ってきたカウンセリングと、さまざまな体験を通して、ドラマティックに解説していきます! この本を読めば「大切な気づき」がたくさん見つかるはず。この世界中のどこかにいる、たったひとりのツインソウルに出会うための人生のシナリオを創るためのレッスンを今すぐはじめてみませんか?
この本を以前読んで、ソウルメイトとは別にツインソウルがいるということを知った。
飯田先生のことは存じ上げなかったのだけど、「良いよ」と勧められて図書館で借りてみたのがこの本。
飯田先生はある日突然脳内出血を起こし、救急車で病院に運ばれ緊急手術を受けて九死に一生を得る。
その間に魂が光の世界に行き、光の存在にいろいろ教えてもらったことが書かれている。
死んだ人が近くに感じるってよく言うけれど、
「だったらお風呂に入っていたり、トイレに入ってるときはいったいどうすんだ
」
って思っていたけれど、物質世界的な現象や行為は魂にとって「まったく興味のないこと」で、「どこかなにかをしている○○の魂と意識を繋げる」事実だけが意味を持つのだそうだ。
だから裸になったり何っかしているときに、
「どうしよう
こんなところを見られたら
」
って気にする必要は全然ないのだそうだ
肉体を離れて魂の姿に戻った瞬間に、あらゆる人間的欲望から解放される。
「怒り」「憎しみ」「嫉妬心」「嫌悪感」などのマイナスの感情をすべて失い、「愛」「正義」「使命感」と言ったプラスの感情のみに満たされる。
「充分に学んできたか
」
「充分に愛してきたか
」
「充分に使命を果たしてきたか
」
死後の世界で問われるのはこの3つだけ。
人間社会での成功は関係ない。
そんなものはあちらに戻った際に全部取り払われる。
価値があるのは、ただ、学ぶ努力、愛する努力、使命を果たす努力。
この3つの努力だけ。
学び、愛し、使命を果たそうと努力したなら、その結果として社会的に成功したかどうかにかかわらず、それは望ましい人生である。
人生の目的とは自分のために生きること。
自分の成長のために、自分なりの学びを積むこと。
「世のため人のために生きよう」ではなく、「真に自分にとって価値のある人生を生きる
その結果「自分のために生きること」が「世のため人のために生きる」ことになる。
肉体を離れて「生と死の境界」に向かおうとしている魂が、うっかり不意に生じた「時間のひずみ」や「空間のゆがみ」に巻き込まれ、その魂が持つ個性としての波調が変わってしまうことがある。
その場合その魂は混乱して悪意はないが他の人間の体を元の自分の体と勘違いして繋がってしまい、その人間の脳にはもともとから繋がっていた魂と、あとから勝手に繋がってしまった魂との、複数の意識が混在することになる。
その場合は、その人物と繋がるすべての魂たちに働きかけ、もともとの魂以外のすべての魂たちを
「この肉体はあなたのものではありませんよ。」
と説得し、納得を得られれば去って行ってくれる。
肉体から抜け出した魂は、肉体とのつながりを残したまま、「時間」と「空間」の観点を持たない次元とつながっている。
脳は物質世界にいながらも、まるで精神世界に存在しているかのように「時間」と「空間」の感覚を失い、、周りの人から見ると、理解不能な言動を繰り返しているでしょう。
(実際、飯田さんは車を運転したことも、家族と話をしたことも、救急車で運ばれたことも、手術をしたことも全然覚えていない)
心に光を念じながら、まぶしいものに対して祈る。
それはまぶしい光の次元に、魂をつなげるということ。
祈りの力強く信じるものほど、より波調の高い次元につながる。
大いに笑い、大いに笑わせなさい。
笑うことは、いかなる治療にもまさる、万病に効く薬。
心の病だけでなく、肉体の病でさえも笑うことによって癒すことができる。
愉快に笑えば、心の奥で光の次元につながり、光のエネルギーを受け取ることができる。
「生まれ変わり」というのは、「直線的に前進する時間」という観念を持っている、物質世界における解釈。
非物質の精神世界においては物質世界のような「直線的に前進する時間」という観念が存在しないので、「過去」も「未来」もなく、「生まれ変わり」の現象解釈は成立しない。
「現在」が永遠に続いていく。
したがって魂は決して老いることがない。
過去の人生で、どのような人物として生きていたのかということは、今回の人生を生きるにあたって必要のない知識であり、むしろ邪魔になる知識。
学びを繰り返しながら成長するために、毎回の人生ごとに、わざわざ過去の人生を消し、いったんゼロの状態に戻ることが必要。
いかに望ましくない人生を送ろうとも、次の人生ではまた新たな人生を始めることが出来る。
いかに望ましい人生を送ろうとも、次の人生ではまたゼロの状態から始めなければならない。
さまざまな肉体を取り換えながら、異なる人生を経験していく方が、より効率的に成長出来る。
ただ人生をゼロから始めても、過去の人生を通じて得た学びはゼロに戻るわけではない。
幾多の人生を通じて得た学びは、魂の波調として、毎回の人生を終えるたびに反映されていく。
過去にとらわれるのではなく、意識を未来に向けなさい。
「幽霊」というものはその空間に時空を超えて残っている、先人たちの強い感情や思い。
つまり、「残存思念」
地上には、数えきれないほどの「かつて、その場所に存在した人間たちの思念のかたまり」が満ちており、私たちは潜在意識の中でそれらの思念を感じ取ることが出来る。
つまりそれが、気配や、人によっては形で見えるってことなのよね
引っ越してから、なんだか気分が落ち込むと言う場合、依然住んでいた人の悲しみ、苦しみ、辛さなどの残存思念が満ちている場合がある。
自殺があったホテルの1室やマンションで幽霊が見えたり。気配を感じたりするというのも、その残存思念が形になって見えたり、感じたりするってことなのよね。
ケンカばかりしていたり仲の悪かった人々が住んでいた部屋や家に引っ越すと、自分たちもケンカが絶えなくなったり、イライラしたり病気になったりする。
またその反対に、仲良しカップルや家族が住んでいた部屋や家引っ越すと、楽しく幸せな残存思念がたっぷりのこっているので、自分や家族まで元気になる。
ディズニーランドなどのリゾート施設に行くと、ただそこにいるだけで楽しくなるのは、そこに行った人の「うれしい」「楽しい」というプラスの残存思念があるからで、その反対に戦場や処刑場の跡や、事故や災害で人が亡くなったというマイナスの残存思念が強く残っている土地に行くと、「苦しく」「辛い」気持ちになる。
裁判所や試験場など、多くの人々が強い緊張を強いられた場所にいくと、必要以上に自分も緊張する。
ただ「強力だが方向を持たない超越感情」という残存思念もあり、神仏や神に祈る祈りの場では強い希望の念が込められているため悲しく辛い感情であっても、「敬虔な気持ち」がマイナスの残存思念を浄化してくれる。
集中して勉強したいときには、「多くの人々が勉強に集中したという残存思念が残っている図書館」に行って勉強したり、恋人が欲しい人は、「恋人と楽しく暮らしていた部屋」を借りたりなど、この残存思念を自分の人生に活用すると良い。
また自分自身の残存思念にもつながることが出来るので、自分が行ったことのある場所に行けば、自分自身の残存思念も残っているので、当時のことをありありと思い出し、浸ることもできる。
先立った故人と一緒に行った場所に行けば、その人と残した楽しい思い出の残存思念を今この瞬間の出来事のように味わうことができる。
逆に今の自分を変えたければ、過去のダメだった自分の残存思念に満ちている今の住居を捨てて、新しい場所に引っ越すと良い。
悪霊は存在しないというけれど、まれに存在する場合がある。
それは、「その魂が自分が死んだことに気づかないとき」「その魂が、自分が死んだことを認めたくないとき。」
これらの魂は決して悪意を持っているわけではないのだけど、これらに接した人がびっくりしたり怖がったりするので、あたかも「悪い魂」と解釈してしまうだけのこと。
だから、「あなたには悪霊が憑いている」だとか、「あなたの家に悪霊がいる」と言われても、「その人は残存思念のことを勘違いしているのだな」と思えばよい。
人間は誰でも死んで魂を失うと、本来の姿である「魂」に戻り、まぶしい光の姿になって宇宙そのものと一体化していく。
この、「光としての自分の振動を、どこまで高めることが出来るか」で、「つながる」次元が異なるようだと、飯田さんが書いておられる。
とても波調の高い、ものすごくまぶしい次元につながることも出来れば、とても波調の低い、薄暗い次元にしか「つながる」ことが出来ない魂もある。
この「つながる次元の違い」が、「天国と地獄」「最後の審判」なのではないか。
「想念が形を作る」
というのは、いろんな本に書いてあって、その想念をわかりやすく表現したのが、「天国」「地獄」「極楽」「三途の川」「お花畑」「血の池」「閻魔大王」「天国の門」etc
文字を持たない時代もあったし、多くの人に知ってもらうという手段もなかったから、これを画や物語や、歌や踊りにして広く知らしめたのではないか。
だから、国が違っていても同じような神話や昔話があるのは、こういうことなのね。
前に観想を書いた、「人生は廻る輪のように 」とか、「日月神示 」とか、「2012年アセンションの真実 」とか、「あなたはどの星に転生するのか~ 」も、光や想念のことなど、だいたい同じようなことが書いてあるから、死後の世界はこんなもんなのだろうなあと思う。
「光」なんだなあ。
波調の高い低いは、振動の速さだったり、細かさだったり、明るさだったりする。
九死に一生を得た飯田さんの話にはリアリティがあり、シンプルでわかりやすかった。
そして、その残存思念をよく受けてしまう怖がりな私は、こういう理屈がわかるとものすごく安心する。
「死ぬのが怖い」
というのは、「死んだあとはどうなるかわからないから怖い」という未知の恐怖だから、こうやっていろんな人が同じようなことを言っていると、なんだか安心する。
なんせ、一番辛いのは現世みたいだしね![]()