震災 から1年、生かされているということを意識して日々過ごすようになった。
生かされていることを感謝して、生かされているから出来ることをしていこうと思う。
今日は、私がご縁をいただいている、世界平和女性連合(WFWP) のパンセセミナー
世界平和女性連合(Women’s Federation for World Peace)は1992年に創設されたNGOで、「地球は一つの家族」をモットーに、海外では開発途上国での
- ①女性の自立支援
- ②子供の教育(学校建設・里親)
- ③医療・保健指導
- ④エイズ予防教育のプロジェクト
を展開してきました。
その実績をもとに、1997年には国連・経済社会理事会の諮問資格を有するNGOに認定され、国連の趣旨に沿った貧困撲滅と女性のエンパワーメントに取り組んでいます。
国内では、これらのプロジェクトを支える支援活動のほかに、留学生支援活動、教育再建のための草の根ボランティア活動を展開しています。
毎年海外に編み物や裁縫を教えに行かれている80代の方がいらしたり、人のために何かされようという人はみな生き生きされていて、とても刺激を受ける。
私はささやかながら毎月寄付金を納めさせていただいているのだけど、海外へ寄付金を贈っても受け取り先がうやむやになってしまうケースも多いなか、こちらはスタッフの方が現地に出向いてちゃんと相手が受け取っているか確認をしているというし、何に使われているかが明確なので、安心でいいなって思う。
「十倍返し」とは、自分のお金の一部を種蒔き的なお金として使い、その後ただちに宇宙からこのお金の十倍が帰ってくることを要求すること。
たとえば友達に十ドルプレゼントして、心の中で次のような要求をする。
「私はこの十ドルを与えます。
このことによって無限の宇宙から十倍返しを要求します。
だから、私は百ドル受け取ります。」
「一割寄付(タイジング)は、すでに受け取った10%を宇宙に返すこと。
1/10を形として宇宙の豊かさを信頼し、感謝している「しるし」として返す。
のことを書いたけど、自分が「喜んでもらえたらいいな」というところで、寄付した自分もうれしいところに寄付出来れば、きっとお金も喜んでいると思う
さて、パンセセミナーの講師は、向田順一先生 。
去年歴史のお話を聴いて
、ものすごくおもしろかったので、今日も楽しみ![]()
昨日から2日続けて、10時半から16時までみっちりのセミナーなのだけど、昨日は仕事で聴かれなかったので、ちょうど前回聴いた「2」なのだけど、あまりにもぎっしり詰まり過ぎていてもう一度聴きたかったので、よかったわ。
私、ずっと「パン」セミナーだと思っていたのだけど、「パンセ」だったのね
「パンセ」って、思想や思考という意味なのだそうだ。
1分間の黙とうを捧げてから本題へ。
善悪の「悪」は、善なるものが、ある動機や経路を経た結果。
その動機や経路があいまいだと悪に負けるので、そうならないためのテキストがバイブル。
エデンの園にはアダムとエバがいて、命の木と善悪なる木が植えてあった。
命の木は、「完成したアダム」で、善悪なる木は「完成したエバ」
蛇(サタン)は、善が変化したもので、もとは天使(僕)だった。
この蛇なのだけど、奈良の三輪山 【大神(おおみわ)】は自然崇拝で、拝殿があって本殿がない。
大物主命尊【蛇身(かがみ)】をお祀りしている。(鏡というのはあとからくっつけたものらしい)
蛇の交尾の姿を表したものが【しめ縄】で、蛇がどくろを巻いているのを表したのが【かがみ餅】
大晦日にお供えして古いものを脱ぎ捨てて新しく生まれ変わる。
蛇は脱皮するということで、生まれ変わりの意味と性のシンボル(男性性器)の意味を持つ。
ユダヤ教はこの多神教のシンボルを蛇として、悪魔(サタン)を蛇に象徴した。
蛇は、エバを誘惑して禁断の木の実のリンゴを食べさせる。
リンゴは女性の生殖器の象徴で、貞操を意味する。
天使は霊的存在だから、リンゴを食べさせたことで、エバと霊的な性関係を結んだ。
エバはアダムにリンゴを食べさせたことで、肉体的な性関係を結ぶ。
イチジクの葉で腰を隠したのは、腰で罪を犯したから。
男子が生まれてから8日目に割礼 するのは、そこで罪を犯したから。
天使というのは、神様がいちばん最初に創られたもので、仕える霊、賛美する存在。
アダムとエバが生まれ神の愛が100%そちらに注がれたので、その寂しさからエバと関係を結んだ。
満たされない思いを他で補うことを「堕落」という。
堕落は、自己正当化。
「不倫」や、失恋のあとすぐに結婚するのも一番危険。
寂しさと寂しさでくっつくから。
「隙間」「夫婦の間」
サタンはここを狙う。
寂しいと本分を忘れ、溺れ、仲間を募る。
寂しさは一歩間違うと、欲求不満、不安、弱さになる。
ゆがんだ形で克服しようとすると、周りに対して憎悪や恨みを抱き、傲慢や虚勢を張り、淫乱になる。
誰でもいいから抱いてほしいとか、ギャンブルや酒に走る。
非行とか不登校なんかも、親の愛が欲しい、親の気を引きたいということで、きっと同じだと思う。
寂しい時は、生き方の転機にする。
初心に帰る。
恨みを愛で帰す。
この典型がノーベル賞を取って湯川秀樹 さんなのだそうだ。
湯川さんは中学の林間学校でお寺の本堂に泊まることになった。
二人一組でかやの中で寝ることになり、先生が「好きなもの同士でペアを組め」と言われて、誰にも声を掛けられず、たったひとり残ってしまったそうだ。
それは少年の心の傷になり、でも普通の人だったら人を恨むところを、
「自分は孤独な人間で人間関係がダメでも、やれることがあるはずだ。」
と数学に打ち込んだ。
寂しい気持ちを自分の本文に没頭したら、自分に自信がつき、「教えてくれ」と人が集まってきて仲間が出来た。
寂しいときは、神に戻るか、サタンの餌食になるか。
すべては自分の意識の有り方だ。
恨みを恨みで返せば、恨みの連鎖が起こる。
恨みを愛に変えて清算する。
よく「歴史は繰り返す」というけれど、アダムとエバの問題も、カインとアベル で繰り返し、エサウ とヤコブ でまた繰り返す。
聖書を読み解くヒケツは、「エッ
」っと思うことは、すべて先祖の問題ってことなのだそうだ。
なにかをしよう思うと、必ず裂かれる。
必ず敵が出てくる。
明確なものを持っている人は、敵が出る⇒殺される。
何もしないというのは、中間層で、サタンも神も入れず、いちばん悪い。
それをどうやって愛で包めるか。
エサウとヤコブはイサク とリベカの子で、リベカは弟のイサクが長になるとの夢のお告げを信じ工作をしたことから家長となり、エサウの怒りを買って命を狙われ逃亡する。
時が経ち、エサウと和解するため会いに行く途中で天使と格闘し、勝って「イスラエル」の名前をもらう。
エサウはヤコブを殺そうと400人の供を連れ待ち構えていたけれど、ヤコブは七たび地に頭をつけ、ひたすら低姿勢でエサウに近付くと、エサウは武器を捨ててヤコブを抱きしめた。
ヤコブは天使の腿の付け根を取って勝った。
「腿の付け根」ということは、すなわち「腰」で、アダムとエバの繰り返し。
「天使との格闘」というのは、性の試練で、過去の先祖の問題(エバと蛇)を克服して兄弟(アダムとエバは兄妹)に戻った。
エサウは敵(怨念が悪)ではなく、心の中にある殺したい気持ちを殺すことで克服した。
歴史のすべての問題は怨念問題。
恨みは、意識の変換。
価値観を変えることで問題解決する。
なんだか、聖書にはものすごく深い意味が隠されていたのね![]()
聖書や歴史の話なのだけど、ひとごとじゃなくて、すべての人に降りかかってくる問題。
先祖は霊界で生きていて、みな愛の問題によって苦しんでいる。
霊界は愛のみの世界で、今自分に起きている問題は、先祖の問題の再現。
同じ苦しみを持った先祖がいるということ。
私たちの人生は、先祖たちの清算と、使命を生きるためにある。
「どんな人でも先祖の問題が降りかかってくる」
⇒この観点がわからないと宗教がわからない。
神を信じる。
運命を受け入れること。
甘受して感謝すると、新しい未来が展開される。
試練をたくさん乗り越えた人は、先祖をたくさん助けた人で、死んだとき霊界で待っててくれるらしいわ
なんだかいろいろ聴いたけど、歴史や宗教は、過去の話じゃないんだなあと思った。
歴史や宗教から過去を学ぶことは未来を学ぶこと。
今自分に起きている問題や、社会で起きている問題、地球に起きている問題、すべてが過去と未来の学びなのかも。
「恨み」からはなにも生まれない。
どう意識を変えていくか。
ここなんだなあ。
アイセル21近くの喫茶店(名前忘れちゃった
)で、講演会にご一緒したhujieさん、yosimiさんとお話のシェアと、マーブルコーヒーチーズケーキ
ブログに書ききれなかったけれど、縄文人の話や聖徳太子や空海の話とか、なんだかシンクロ続きで、知識の密度がどんどん濃くなっていくのがうれしいわ
。
