- [天の叡智]日月神示 ミロクの道は悪を抱き参らせてこそ進む (超知ライブラリー)/中矢 伸一
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日本に太古より流れる霊脈より噴出した昭和の大天啓・日月神示。
それは、釈迦、キリスト、マホメット、老子、孔子、黒住、天理、金光、大本の次にくる、十番目の「とどめの神示」と言われる。
混迷を深め行く今、「究極の神」から降ろされた珠玉の言霊が光を放つ日月神示を読むことで貴方の人生は弥栄に向けて動き出す。そ
して、社会が変わり、日本が変わり、世界が変わることになる。
なぜこの世から悪がけっしてなくならないのか?
世界を動かす無限のパワーは、悪を活用することでしか発動しない!悪による神の存在証明―想念の超大転換を告げる書
たまにふと思い出して読み返したくなる。
「日月神示」の本はたくさん出ているので、何を読んで何を読んでないんだかわからなくなっちゃったけど、これは”これだけは知っておきたい基礎知識”について書かれているので、「日月神示」を知らない人の入門書としても良いのでは。
「日月神示」というのは、神霊研究家であり天性の画家でもあった岡本天明さんの身に「天(あま)のひつくの神」を名乗る高級霊が憑かり、昭和19年から36年にかけて自動書記によって降ろされた天啓で、「ひふみ神示」「一二三(ひふみ)」とも呼ばれる。
難解すぎて最初は読むことができなかったそうだけど、研究家や霊能者の協力も合って少しずつ解読作業が続けられ、ようやく完成した。
内容的には日本と世界が直面するであろう今後の未来展開、霊界の実相、宇宙の真理、開運の仕方、病の治し方、人の人としての生き方などなど様々なことが書かれている。
具体的な予言はいっさい書かれていないのだけど、戦後から今日までの世の流れはほぼ100%的中していると言われている。
「引き寄せの法則」とか、「感謝の気持ち」
「2012年に起こるとされているアセンション」について触れていると受け止められる予言的記述も随所に見られる。
震災後に読んだ日月神示のどの本だか忘れてしまったのだけど、
「北の方から災害がやってきて、火と水の浄化が行われる」
と書いてあった。
その本では、北の国から核戦争をしかけられるような解釈をされていたのだけど、北を日本の東北と当てはめると、「東北が震源地で、原発が爆発し、津波や火災が起こる」という事実と一致する。
それには、これは大浄化だから、
「どこに逃げても無駄ぞ。
助ける者は助けると申しているであろうが。」
と書いてあって、まだこれから辛抱しなければいけないことが起こるけれど、神一厘でひっくり返りミロクの世が現れると書かれてあった。
死ぬのが不幸か、生きるのがしあわせか、それは人間の思考レベルではわからないことなのだと思う。
でも生かされているということは、まだやるべきことが残っているということで、その使命を果たさなければならないし、亡くなるということは、地上でのお役目が終わったということなんだろうと思う。
「先ず金がなければと申しておるが、その心マコトないぞ。
キがもととあれほど申しても未だ判らんのか。」
「そなたはすぐ金にならねば食っていけない。
金にならぬ仕事は出来ぬ。
自分は良いが妻子がかわいそうだから、などと申しておるが、(中略)そなたは目先の欲に囚われ、欲になりきって、目先を変えてござるぞ。」
マコトのキを発揮することにより、因縁にもとづいて自然と金も集まってくる。
これが霊主体従による真の弥栄(いやさか)の法則。
金が最初になければ何も出来ぬというのは、それとは正反対の体主霊従の発想法。
体主霊従のやり方は、短期的には勢いよく進み、いったんは成功するように見えることもあるが、結局はもともと神の御意に逆行するものであるから、滅びるのも早い。
これに対し、霊主体従やり方は、最初は地味で小さな動きに過ぎなくても、やがては大輪の花を咲かせることになる。
「生命捨ててかからねば、マコトの理解には入れん道理。
身慾信心(みよくしんじん)では駄目。
いのち捨てねば生命に生きられん道理」
人間は欲深で勝手な道理を並べ立てるが、それは「小我(エゴ)」
まずは思い切って手に握っているもの、身に抱えているものをぜんぶ捨てる。
たとえ裸一貫になっても、神の道に従ってさえいれば、いずれ弥栄えない道理がない。
「同じ愛、同じ想念のものは、自ら集まって結ばれる」
これは、「類は友を呼ぶ」ってことね
同気同一線上にいる霊人たちは、一度も会ったことがなくても、百年の友であり兄弟姉妹みたいにお互いにそのすべてを知ることができる。
霊人同志だけでなく、住居、衣服、周辺の動植物、自然環境、すべてが自分に相応のものになる。
「肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心はなかなかぞ」
「雨あらば雨を、風吹けば風を、ひとまず甘受せよ。
甘受した後、処理していかなならん。
受け入れずにハネ返すのは大けがのもと。
何回でも何回でも同じこと繰り返さねばならんぞ。
なにか迫りくるのは、なにか迫りくるものが自分の中にあるからぞ。
内にあるから外から迫るのじゃ。
自分で呼び寄せているのじゃ。」
引き寄せの法則。
ホ・オポノポノ
自分に起こることは、すべて自分自身の現れ。
まず自分が変わらないと、周りの環境も変わらない。
ブームになる70年も前に、しっかり日本にあったのね。
「悪は悪ならず、悪にくむが悪」
先日の向田先生の歴史講座
で、習ったわ~
御神業とは日常生活そのものであり、朝目をさましてから夜床につくまでが御神業である。
神前にておまいりをしたり、神社に参拝したりすることは、マツリの「型」にすぎない。
本当の御神業の場は、職場にあり、学校にあり、家庭にあり、朝夕の食事にある。
人生そのものが御神業で、悪しきメグリ(因縁)を積めば、それは自分に必ず返る。
大局的にみれば、霊的に意義あるもの、意義のないもの、悪しき行い、善の行い、すべてが御神業になる。
大局的にみれば、霊的に意義あるもの、意義のないもの、悪しき行い、善の行い、すべてが御神業になる。
生まれてから死ぬまで、死んでからも御神業。
霊界では同一の想念波調のものが集まって、同質の社会を形成している。
天国的な想念波調を有する霊人は天国的社会のなかに身を置き、地獄的な想念波調を有する霊人は地獄的社会に身を置くことになる。
しかし現界では天国的な高い[細やかな]波調のものから地獄的な低い[粗い]波調のものまで、さまざまな波調が混在する特殊な世界。
人はこの現界に在ることによって、身魂(みたま)が磨かれ、悪因縁が解消したり、善徳を積むなどし、霊的な向上がはかられる。
あるいは霊界にあってはうかがい知ることのできないような神書に接したり、霊格の高い人と出会うことによって霊的研鑽を積むことができる。
すなわち現界に生きているときというのは、魂のレベルを向上させる絶好のチャンス。
「心して、怪しと思うことは、たとえ神の言葉と申しても一応は考えよ。
神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。
サニワ
せよ。」
「霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違い多いぞ。心せよ。」
この世界で起こることは、それに先じて霊界でことが起こるらしい。
霊界で起こったことが、ある程度のタイムラグを通して地上界に映ってくる。
でも、たとえばA⇒B⇒Cという事象が霊界で起こっても、地上界ではA⇒C⇒Bと順番が変わる場合もあるし、A⇒Bが続けてきてCがだいぶ遅れてくる場合もある。
その現れ方も、100が10と出たり、1と出るときもある。
取るに足らない小さな事柄は動物霊の類であってもある程度予知が可能。
けれども富士山大爆発などの天変地異を正確に予言することは非常に困難だそう。
だったら予知に右往左往せずに、今在ることに感謝して心安らかに暮らしたほうが楽しい。
「神を信じる一日は、信ぜぬ千日よりも尊い」
「夜明け前になると霊ガカリがウヨウヨ、勝手放題に混ぜ繰り返すなれど、それもしばらくの狂言」
「祈り祈り結構と申して、邪の祈りは邪の道に落ちるぞ。
いろいろのお告げ出ると申してあろうが。
今その通りぢゃ。
お告げに迷うぞ
審神(サニワ)して聞けと申してあろう。
審神して聞け。
判らなくなれば神示みよ。」
311以降が、ほんとそんな感じになった。
情報が錯そうしているし、ひとつの情報が出ると必ず真逆な情報が出てくるし、真実は抑え込まれるから、いったいなにが本当なんだかわからなくなる。
審神が肝心。
「高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。
為すこと、心に浮かぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。」
「浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応はほとんどないぞ」
「目に見えぬところからの通信は、高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的になるものであるぞ。
ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。」
真の神憑かりとは、誰しもが「あの人はなにか憑いている」とわかるような波調の粗いものではなく、神が憑かっているとは、周囲にも本人にもわからない。
きわめて微妙で繊細なものである。
「霊の発動を止めて静かにする法は、『国常立大神(クニトコタチノオオカミ) 守り給え幸(さき)はえ給え』と三回繰り返すこと。
または『素戔嗚尊(スサノオノミコト 守り給え幸(さき)はえ給え』と三回繰り返すこと。
または『大日月地大神(オオヒツキクニオオカミ) 守り給え幸(さき)はえ給え』と三回繰り返すこと。
世界そのものの霊がかり、日本の霊がかり、早うしずめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、見事な事を致してお目にかけるぞ。」
洗脳というのは、ある意味では霊的な問題で、なんらかの形で霊的障害が絡んでいる場合もある。
洗脳の魔の手は日常のあらゆるところに忍び込む。
彼らを救うには頭ごなしに言っても聞く耳を持たない。
気持ちを硬化させて追い詰め、独自の世界にのめりこませるだけだ。
霊的なところに原因を持つ洗脳を解くには、正しい霊的良識と経験に基づき、彼らの理解する霊的な言葉と表現を持って諭さなければならない。
日月神示には、ディプログラミング(プログラミング(習慣化)された悪癖・悪習を、潜在意識に働きかけて除去する方法)の効果がある。
「すべてのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。」
神が意志することは行為することであり、神が行為することは、すなわち弥栄であり、大歓喜である。
霊人は想念すること自体が行為だが、地上物質界にあっては、肉体的な動きなど、物質を介して実際に行為することにより初めて歓喜になる。
真に正しいと思う事を行為することによって、初めて歓喜として現れ、弥栄え行くことができる。
ただ心に思うだけ、想念するばかりでなにもしないというのは、結局歓喜としては現れず、弥栄えず成長しない。
これは「祈り」の定義にも通じること。
「祈りとは、意が乗ることぞ。
霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることぞ。」
「日々の祈りは行であるぞ。
百年祈り続けても祈りだけでは何もならん。
それは祈り地獄ぢゃ。
祈り地獄多いのう。
肉体人は肉体人の行せねばならん。」
「祈りと申すのは心で祈り願うことでないぞ。
実行せねばならん。
地上人は物としての講堂をしなければならんぞ。
口と心と行と三つを揃わねばと申してあること、忘れたか。」
祈りというのは、神の意に人の意が乗ることにある。
地上人は、マコトの行為を通じて初めて神の御意志に乗る、つまり波調を合わせることができる。
神の波調と人の波調とのズレを修正し、釣り合いをとることを「マツリ」という。
祈ることは行為することであり、またマツリ合わせることでもある。
地上界にあっては、行いを通じて、神の歓喜が地上界に流入することになる。
「神まつるとはお祭りばかりでないぞ。
神にまつろうことぞ、神にまつろうとは、神にまつわりつくことぞ。」
「大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮死の状態となるのぢゃ。
掃除終わってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのぢゃ。」
「今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けんぞ。
今の肉体のままでは、人民生きて行けんぞ。
一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民として甦らす仕組、心得なされよ。
神様でさえ、このことわからん御方あるぞ。
大地も転位、天も天位するぞ。」
「もっとも苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ。
死んでからまた甦られるように死んでくだされよ。
マコトを心に刻みつけておりてくだされよ。」
2012年12月21日の、銀河の中心と、太陽と地球が一直線上に並ぶ日のことを言っているらしい。
この日から23日まで、銀河の中心から地球に降り注がれる宇宙線がシャットアウトされるらしい。
「マヤ暦の終末の日」とも、「フォトンベルト」関連の話とも符合する。
でもどうなるかわからないけれど、こういう漠然とした不安は、精神医学的には「予期不安」と呼ばれているそうで、政治的な混乱と人心の動揺が激しくなると、これに呼応するかたちで不思議と天変地異が頻発する。
地震は、必ず来る。
でもいつ来るかとか、どのくらいの規模だとか、予言する人はいっぱいいるけれど、すべてがぴったり合致するって、そうそうないと思う。
それよりも先が見えない不安、漠然とした不安、恐怖、怒り・・・
「地震が来る、来る。
きっと大きな規模で、津波も・・・」
なんて勝手に思い描いてしまうと、それも引き寄せの法則が働く。
想念が形になるのなら、多くのネガティブなエネルギーがひとつにまとまって大きな負の塊となって、とてつもなく大きな地震を引き起こすこともありうるし、暴動の種にもなりかねない。
だからもう、考えてもわからないことはむやみやたらに心配したり取り乱したりせずに、出来る準備はしておいて、今日在ることに感謝して生きなければいけないんだと思う。
今日、ちょうど正岡子規
の、
という言葉を目にした。
この境地に少しでも近づけるように・・・
日月神示って、おどろおどろしい感じだけれど、ほんとうはいたってシンプルで、引き寄せの法則とか、逆境のときこそ「ありがたい」と感謝するとか、死後の世界のこよも書いてある。
肉体界に生きているうちに霊界の知識を知っておくと、自分はなんのために生き、何をなせば良いのかもわかってくる。
ひとつの目的は、霊性を高めて神なる存在に少しでも近づくため。
日月神示の死後の世界は、不思議なことに
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彼が「霊の眼」をとおして縦横無尽に旅した太陽系の内や外の惑星の実態や、その惑星に住まう人類について克明につづる、大宇宙からの死後の世界の詳細報告書。
と酷似しているそうだ。
日本神道のエッセンスともいえる日月神示の霊界論と、キリスト教的思想・哲学の大家であるスウェーデンボルグの霊界論がほとんど同じというのは、これを読めば霊界がわかるってことね