今日回ってきた町内の回覧板に挟んであった小学校便り
「床を磨いて心を磨く」
6年生のA君が、両ひざをつき、両手で雑巾を押さえ、自分の体重をかけて一生懸命に床を磨いている。
”一心不乱”という言葉に相応しい磨き方だった。
床が見違えるように輝いた。
そうしたら、今度は同じ班のB君が同じように床を磨き始めた。
なぜA君は一心不乱に床を磨いたのか。
それは内発的なモチベーションが育ったから。
1. 一生懸命にやると床がきれいになることが予測できる(成果を予想することができる)
2. 一生懸命磨いて床がきれいになると気持ちが良い(達成感を感じる)
3. 6年生として、最高学年としての誇りと自覚が持てる(高学年としての自覚と誇り)
4. きれいな学校つくりに自分が参加することができた(所属感)
5. 自分の力を出し切って仕事すると清々しい(自己実現)
これが内発的なモチベーション。
学校では「おしゃべしりない掃除」を実践しているそうだ。
ただ言葉で指導しても、高めることは難しく、言葉と体験(活動)と価値(心)が一致してこそ身に着くもの。
文字通り、「床を磨いて心を磨く」
一心不乱に何かをしていると、思考が入らず瞑想と同じ状態になる。
気持ちも落ち着いてくる。
そして床がきれいになってくるともっとうれしい。
すごいよね。
6年生にして体感しちゃったのだものね。
この男の子は、別に褒められようと思って掃除したわけではないけれど、こうやってちゃんと見てくれている先生がいてくださるのもうれしいね。
今日の”おひさま ”の陽子さんも、一心不乱に床を磨いていた。
けれどもこちらは思考を入れないのではなく、思考を心から押し出すため。
夫の和さんが病気の戦友の家に行ったきり帰ってこないので、不安で不安で、なにもしないとつまらないことを考えてしまいそうで、手を動かさずにはいられないのだ。
そういえば若いころに読んだ松田優作さんの前の奥さんの手記に、優作さんが美由紀さんに会いに行って帰ってこない夜は、家じゅうの鍋を取り出して片っ端から磨いたと書いてあったことを思い出した。
自分の夫の心が、別の人のところに向かっているなんてことを思ったら、何かをしていないと心が張り裂けてしまうもの。
相手に言いたい言葉を、相手ではなく床に、鍋にぶつけている。
私も別に夫が浮気してるわけじゃないけれど、心がモヤモヤしているときはよけいなことを考えていたくなくて、やはりなぜかシンクや洗面台を磨きたくなる。
なぜ、”磨く”という行為なのかしらね?
やっぱりそこについている汚れが、心の中の闇を連想させるから?
くすぶっている思いを、洗い流してしまいたいから?
大人になると、きれいにするのとは違う目的でものを磨くときもあるのよね。
話はそれてしまったけれど。
でも心を磨くという意味では、同じなのかもね。