今日は9月9日の「重陽 」
陰陽思想では奇数は陽の数であり、陽数の極である9 が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。
奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。
後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである
旧暦では「菊の節句」
もう秋だなあ・・・
今朝、レインボウさん
から、頼んであった小冊子が届いたので届けてくれる」とのメールがあったので、コーヒーを淹れてドーナツを焼いた
「先日、こんな話を聴いたのよ~
」
と熱っぽく喋っていたら、向田先生の講演
の話をしたつもりが一緒に聴いた赤塚さんの話
で大笑い
最近、情報が関連した情報を引き寄せるので、誰が何を話したんだかわからなくなっちゃって![]()
でもそうやって関連した情報が集まってくるおかげで、頭の中もやもや~と広がっていたものが、だんだんと形がまとまり、私が選んでいるものは間違いじゃないなあという確信が持てる![]()
それがものすごく楽しくて
出来上がったばかりのミネハハさんのコンサート
のちらしも、サロン
に置く用にいただいたので、ぜひどうぞ![]()
今日は週に一度、農家さんが無農薬野菜を届けにきてくださる日。
今日の野菜は、冬瓜、金時草、モロヘイヤ、ジャガイモ、人参葉、さつまいも、オクラ。
野菜で季節を感じることができるのは、しあわせなことだなと思う。
でも、先日の大雨と暑さで、土の中でゴボウやニンジンが溶けて大変らしい。
地震や土砂崩れで田畑がなくなったり、あっても気候の関係で育たなかったり、農家さんは大変なご苦労をされていると思う。
感謝していただかないとと、いつも思う。
それには、残さないこと、忘れて腐らせないこと、捨てないこと。
「ありがとう、ありがとう」と言うと、野菜も喜んでくれているみたいに思える。
きっと数倍美味しくなっているのかもね![]()
そういえば、お庭に植えたプチトマトも、毎日声掛けしているので、肥料をまったくあげていないのに、まるでジャングルのように勢いよく実をつけてくれている
でもその横に植えたナスがトマトの勢いに押されて枯れそうになって、ひとつしか実をつけなかったので、ある日、「ナスちゃんも頑張ってね
」と、毎日毎日応援していたら、昨日大きな実をつけてくれた
やっぱり植物は人間の言葉がわかるのよ![]()
っていうか、波動で読み取っているのよね![]()
ホ・オポノポノを知ったのは2年まえ だけど、「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛してます」の4つの言葉を唱えると心が安定するので、これに「感謝します」を付け加えてよく唱える。
車を運転していたり、歩いていたり、ちょっと心がザワザワして落ち着かなかったり、夫とけんかの最中だったり・・・
義母との対話で腹が立ったときも、まるで黄門さまの印籠のように、この言葉を心の中で投げつける![]()
そんなに人間出来てないから、呪文替わり![]()
でもいちばん唱えるのは、食事を作っているとき。
体文教の社会人大学で、スリランカの上座仏教のスマナサーラ長老が教えてくださった、「歩く瞑想」 というのがあるのだけど、ちょうどそんな感じ。
何も考える余地がないので、だんだん瞑想のような感じになる。
今、いろんな人と会うたびに「ホ・オポノポノ」の話が出るので、やっぱりこの時期必要なのかな。
食事の時の「いただきます」も、先日の赤塚さんのランチ&講演会 で、天と地に、作物がここまで来るのにかかわった人に、そして作ってくださった人に、感謝を込めてお祈りをしたとき、そういえば保育園がカトリックだったので、毎日給食を食べるときにお祈りをしたのを思い出した。
「天にまします我らの父よ
願わくは
み名の尊まれんことを
み国の来たらんことを
み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
我らの日用の糧を今日我らに与え給え
我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
我らを試みにひきたまわざれ
我らを惡より救い給え 」
案外と覚えているもんなんだ。
その時は意味もわからずまるで呪文のように唱えていたけれど、「南無阿弥陀仏」と同じで、唱えるだけできっと言霊の力が働くのかもしれないなと思った。
言葉次第で良い方にも悪い方にも動く。
言葉の中に入っている力って、すごいなと思う。