夏の終わりはいつもなんとなく寂しくなる。

春は一雨ごとに暖かくなり、梅雨が明けると夏だなあと思うひまわり

木枯らしが吹いたり、霜が降りたり、雪が降ると冬の到来雪

夏だけ、そんなシルシがないから、寂しいのかな。

夏の終わりと秋の始まりは微妙に重なっていて、気が付いたら秋になっている。。


そんな夏の終わりには



1981~1987/角松敏生
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を聴きたくなる。

昔、付き合っていた人が、「カドマツは夏の終わりに聴くといいんだよ。」と教えてくれた。

結局その人とは、夏が始まる前に終わってしまったけれど、なんとなく夏の終わりにはカドマツを聴きたくなる。


音楽とか本とか、付き合った人の影響を深く受けていると思う。

司馬遼太郎を好きな人が「竜馬が行く」を貸してくれたおかげで、歴史小説が好きになり、彼が持っている本をほとんど借りて読んで、新撰組の土方さんが好きになって、新撰組の他の人が書いてある本を読みあさったり、他の歴史小説も読んでみたくなって、池波正太郎や藤沢周平の本も読むようになった。


ラテン音楽やジャズやクラシックなど、今まで聴いたことがなかったジャンルの音楽を聴くようになったり、今まで知らなかった分野に興味を持ったりした。

別に染まろうなんて思ってもみないけど、自分が好きだった人が興味あるものは、やっぱり興味がある。

それだけで、その人を知った気になる。

ユーミンサザンなどの息が長いミュージシャンの音楽は、そのとき付き合っていた相手によって聴いた歌が違うから、ラジオからふと懐かしい歌が流れてきたりすると、突然その時の状況が思い出される。

久保田利伸も、「こんど静商出身のヤツがデビューしたんだって」と、車の中でテープをかけてくれて初めて聴いて、地元で初めて行われたコンサートのチケットを取ったのに、コンサートの前に別れてしまったハートブレイク

車の中で別れ話が出たときに、クボタの『ミッシング 』がエンドレスで繰り返し流れていて、しばらくは聴くたび泣いていたけれど、次に好きな人が出来ると懐かしく聴けるようになる。

そのときは、「もうこれ以上人を好きになれない」なんて思っても、次に好きな人が出来ると、忘れちゃうもんなんだなと思う。


10代の終わりから20代の最初のころの思い出は、どこか甘くて胸がほんの少し痛い。

でももう遠い昔のことだから、顔も思い出せなかったり、あの時別れないでいたらなんて思わないけど、でもどこかでつながっている。

結局、今の自分は、自分が選択したものでできているんだなあと思う。


なんでこんなことを思い出したのかと言うと、やっぱり夏の終わりだからね、

きっと夜の海


ちなみに、夏真っ最中は


A LONG VACATION 20th Anniversary Edition/大滝詠一
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すごく好きな人と聴いたから、ちょぴり甘くてちょっぴり切なくなるCD

結局実らなかったけれど、だからずっと大好きなのかなと思う。

ずっと大好きでいたいんだったら、付き合わないほうが良いのよね、きっと。