大晦日の朝は、夫は早くからそば打ち。
家の分と実家の分と頼まれた分で朝から大忙し。
2年前はせっかく掃除した台所の床もガスレンジもドロドロで、「なんでこの忙しい日に、よそン家のそばを打っているのよ」と思っていたけれど、せっかく喜んでもらえると思って作ってるのに、私の一言でその気持ちがしぼんでしまうだろうなあと思いなおして、去年からそれを我慢とは思わなくなった。
小林正観さん の、「イライラさせる人はいない。イライラするのは自分の心」
相手は自分をイライラさせるために存在しているわけではないのだ。
同じ出来事も、自分の気持ち次第で変わる。
考えてみれば、結婚してから十数年、29.30日は私が仕事だったので夫はひとりで大掃除していたけれど、文句言われたことは一度もなかったものなあ。
それにおそばを打つようになってから、大晦日の夜はおそばを茹でて天ぷらなどの蕎麦前も」作ってくれるから、夕飯も作らなくて済むようになったし、してくれないことを考えるより、してもらったことを考えなくちゃいけないよね。
そのほうがよっぽどしあわせだし、感謝することが増えてくる。
手際もだいぶ良くなって、前は夕方まで掛かっていたのに、2時には終わった。
夫が実家におそばを届けに行っている間に1階の掃除をし、夕飯を食べ終わってからレンジと床の掃除。
ちょうど紅白歌合戦の「トイレの神様」を聴きながら、「”掃除しなくちゃいけない”んじゃないんだなあ。1年間使わせていただいてありがとうなんだなあ。」とふと思って、歌詞のせいかもしれないけれど、そのことに気づいたらなんだか急に厳かな気持ちになってちょっぴり涙ぐみながらレンジを磨いた。
紅白の途中でお風呂に入って、紅白を観終わり、まるでスキー場に行くような厚着をして神社へ![]()
お世話になっているダイビングショップのオーナーが神社の神主さんで、我が家の地鎮祭をしてくださったので、我が家の神棚にはその神社と天照大神のお札が入っている。
うちから車で30分ほど。
厚着のおかげか、それほど寒くなはかったけれど、星がとってもきれい。
空気が凛として、気持ちがシャキンとする。
階段を上り終えると、神主さんが「おめでとうございます」とひとりひとりに挨拶をしてくださり、頭の上を榊でシャッシャッと払ってくださるので、なんとなく清められた気持ちになる。
それに知り合いだと有難味もあるし![]()
カランカランと鈴を鳴らして、「昨年一年見守ってくださってありがとうございます。今年もよろしくお願いします。」と神様に挨拶する。
もうずっと、神様には願い事よりお礼。
隣町の小さな神社は近所の人ばかりで、ちょっとした同窓会のようだ。
夫はお神酒をいただき、私は運転なので甘酒をいただいた。
おみくじは中吉
神の教え
”胸のむら雲、はらえばすぐに、神の光がてりわたる。
苦しい時、悲しい時、腹立たしい時、胸に手をおいて考えてみる。
すまぬ事、悪い事、はずかしい事、神様の御心に副(そ)わぬと思う事があれば、神様に詫びをする。
お清めをする、お祈りする。
するときっと、苦しみも安らぎ腹立ちも和らぎ、心の底から喜びが湧いて、倖せがやってきます。”
良いお言葉をいただいたわ。
今年一年、この言葉を胸にしっかりと刻もうと思う。
家に帰って「今年もよろしくお願いします」とお屠蘇で乾杯し、就寝![]()
と思ったらすぐに朝なので、お雑煮の支度だけして義母を施設に迎えに行く。
去年はこの義母を迎えに行く車の中で、もうこんなヤツとは暮らしていけない
と思うくらいの大ゲンカ
を したけれど、今年はいたって穏やか![]()
義母を家に連れてきて、大好きな氷川きよしが出ている紅白歌合戦の録画を観ながらおせちを食べる。
季節のお料理 ”辻むら”さん
のおせち
実家の母から私の大好きな煮豆とお煮しめをもらってきた。
子供のころ、母は紅白が始まってからもずっとおせちを作っていたのに、今の時代はとっても楽ちんだ。
実家の父がしてくれたように、箸袋に各々の名前を書く。
お雑煮を出して、またお屠蘇で乾杯。
私は運転なので口をつけるだけ。
義母がテレビを観ている間に年賀状を読む。
「パワーをもらってる」という一言が多くて、私はそんなに力はないのになあと照れる(^_^;)
年配の方の、「元気でいますよ」の言葉に、若い時には思わなかったけれど、今は「お元気でいてくださってありがたいなあ」と感謝する。
命は有限でなないのだから、「元気」は特別なことなのだと思う。
前の上司の「充実した年を送っているね、感心、感心」の文字に、頭を撫でてもらった気持ちになる。
同期の、「今年はこれこれをしようと思う」の言葉にエールを送りたくなり、先輩や友達の一言にも励まされたり温かい気持ちになったり、お客様の近況も知ったりして、去年の年賀状の感想が書いたりしてあると年賀状は気持ちのこもった最高の贈り物なんだなあと、改めて思う。
特に相手が異性だと、会ったり電話で話したりすることはなかなかできないから、年賀状は年に一度のお手紙でとても楽しみ。
手書きはやっぱりうれしい。
波動が違うもの![]()
夫の実家もなくなり、3人だけのお正月。
義父が健在だったときには、お正月には夫の実家に姉家族と兄家族とが集まりとても賑やかだったけれど、私には苦痛だったので、今のほうが楽。
義母は誰も訪ねて来てくれないことが寂しい。
だけどそれは強制もできないし、「私たちがこんなに一生懸命しているのに」と思っても、「ない」ことに焦点を当てていると、「ある」ことに気づかないのだ。
そこにいない寂しさや怒りは、そこにいる人に向く。
つまり私。
前に「仏とはほどけること 」と書いたけど、執着を残すと成仏できないから、ここをほどいていくのが嫁の私の役目。
前は諭すことに躍起になっていたけれど、今はひたすら聞いている。
そしてイヤミは聞き流してる(^_^;)
そして夕方にまた施設に送っていき、夜は夫が暖かいおそばを作ってくれた。
今年は穏やかに過ごすことができたことに感謝![]()

