子供のころから、死んだあとのことに興味があった。
死んだら、天国か地獄に行くと思ってて、地獄には閻魔様がいて嘘をついたら舌を抜かれると本気で信じていたので、嘘をついた後ドキドキした。
たぶん、保育園でキリスト降臨の劇をやったり、古事記や、日本昔話や、芥川龍之介の「杜子春」や「蜘蛛の糸」を子供のころ読んだ影響なんだと思うけど、4歳か5歳くらいのとき、社宅の食卓に母とふたりで座っていたときに、たぶん叱られたのだと思うけど、「そんなこと言うと、ママは地獄に落ちちゃうんだよ」と言って母を泣かせた記憶がある。
今考えても、本で地獄を知ったのはもっと後だと思うのに、なんであのとき「地獄に落ちる」ということを知っていたのかがよくわからない。
でも、死んでも世界が続いていくというのは、あれからずっと信じている。

ライフ・レッスン (海外シリーズ)/エリザベス キューブラー・ロス
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先日も紹介した キュープラー・ロスの本。

ほんものの自己のレッスン・愛のレッスン・人間関係のレッスン・喪失のレッスン・力のレッスン・罪悪感のレッスン・時間のレッスン・怒りのレッスン・遊びのレッスン・忍耐のレッスン・明け渡しのレッスン・許しのレッスン・幸福のレッスンについて書いてある。

1940年代、内線でイスラム教徒に息子を殺されたヒンドゥー教徒の男が、マハトラ・ガンジーに、「どうしたらイスラム教徒を許すことができるでしょうか?一人息子を殺されて憎悪に燃えているこの心に、どうしたら平安が取り戻せるでしょうか?」と尋ねた。

ガンジーはその男に、「イスラム教徒の戦争孤児を養子にし、自分の子として育てなさい。」と答えた。

人生をまっとうするためには、許すことを学ばねばならない。

許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、ふたたび他者と自己を結びつける方法である。

人は誰でも傷ついたり傷つけた経験がある。

問題は傷つけたり傷ついたりすることよりもむしろ、その経験が忘れられないこと、それを忘れようとしないことにある。

傷の痛さはそこにある。

わたしたちは傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも教わっていない。

許しが必要とされる理由はそこにある。



「許す」ことが、世の中でいちばん難しいと思う。

私も自分がされたこと、ずっと許せなかった。

一生許せないと思ってた。

それが三輪さんの番組がきっかけで、大浄化 がおきて、彼女を許せるようになって、やっと自分が楽になった。

許すということは、自分を許すこと。

自分を解放してあげること。

彼女には二度と会いたくないけれど、とても感謝をしている。

今の私がいるのは、彼女のおかげだから。

そして「許す」という学習をしたら、義母のことも、こちらもほんとうに義母と縁を切るために離婚を考えるくらいいろいろとあったのだけど、「まあ、しょうがないや」と思えるようになってきた。

たまに悶々とはするけれど・・・

自分の気持ちは、やっぱり変えられるんだ。

変えて、いちばんしあわせになるのは自分なんだ。

死ぬまでの時間があと何日と数えるようになったとき、私たちは自分の幸福について真剣に考え、幸福を感じるようになる。

本当のしあわせというのは、もしかしたら命が有限だと気づいたときに初めて感じるのかもしれない。


そしてもう1冊。
メメント・モリ/藤原 新也
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田口ランディさんのエッセイで藤原さんを知った。

前にブログに描いたけど 、メメント・モリ(Memento mori)とは、ペストがはびこった中世末期のヨーロッパで、盛んに使われた宗教用語。
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。
「死を想え」とか「死を忘れるな」ということ。

人肉を食らう犬。

魂が抜けると、人はただの物体になるのだ。

だったら、魂があるうちにいっぱい考えなきゃね。