今回はアニメにまつわる話題なので、余り興味の無い方は
読まれる必要はありません。
私が初めてパソコンに触れたのは、高校1年生の4月であった。
「高校に入ったのだから、どこか部活に入りたいな」
そう思ったのだが、親から言われていた言葉があり、
部活を自由に選ぶことは出来なかった。それは
「お前は、跡継ぎなのだから手の怪我をしてはダメだ。
だから球技などは、もっての他である」
病身の父が、技術系の跡を継がせる為に、こういう事を
言っているのは理解は出来た(しかし、弟達には自由に
やらせていたのだから、理不尽ではある)
学校が始まって数日たった頃に、階段の踊り場に
「数学研究部部員募集」
という張り紙があった。どういう事をやる部活なのかは
全く解らなかったが、この一枚の張り紙が、私の人生を
変えてしまうのだから、面白い物である。紙に書いてあった
生徒の教室に行き、部室を訪れる事になる。コンクリートの
部室「鉄道研究会」の隣にある、端から二番目の部室が
「数学研究部」であった。鍵を開けてもらい、中に入ると
テーブルが置いてあり、そこに奇妙な物体が置かれていた。
「これは、部長さんの親から送られたコンピューターです」
これが、パソコンとの初めての出会いだった。

コモドールPET2001である。コンピューターというのは
まだテレビの中でしか知らない存在であって、それらは
「紙テープで出力された情報を読む」
というシーンで描かれる事が多く、テレビに文字が映るのには
本当にビックリした。部室には、いくつかのゲームのカセット
テープが置かれており、そこで遊ばせて貰った。
「ブラックジャック」「スタートレック」
いずれも面白いゲームだったが、特にスタートレックは
大変に面白いゲームであった。当時はBASICという言語で
プログラミングされていたので、これを改造する所から始まり
雑誌にあるプログラムを打ち込む事で、放課後の大部分を過ごす
事になった。これがパソコンとの出会いである。
大学に行き、また別に出会いをする事になるのだが、それはまた
長い話になってしまう。まあ読みたい方もおられないと思うので
今回は割愛する。
大学時代にOh!mzという雑誌に出会い、プログラムにのめり込み
社会人になってからは、片手間で遊ぶという日々を過ごしていた。
しかし、それはWindows95の登場で終わりを告げてしまう。
「各社が独自に作ったパソコンを、隅々まで使い込んで
能力の限界を引きずり出そう」
という世界は失われてしまったのだった(現在は間接的にしか
ハードウェアをコントロールする事しかできない)例えば
PET2001の場合
POKE 32768,65
と、メモリに直接数字を書き込むと、画面の左上に「A」と
表示されるといった具合に、直接色々と扱う事が出来るのだ。
16BITセンセーションで「PC98じゃないと嫌だ」という台詞は
この様に「全てを余すこと無く使う事が出来る」事を言ってる。
また技術的には「中間色タイリングペイント」という超絶な
技術がある。これは、十六色しか発色できないパソコンで、
多くの色を発色させるものである。例えば
「白と赤のチェック模様を描くと、ピンク色に見える」
という目の錯覚を使った彩色方法である。手間もかかる物なのだが
これでCGを作っていたのだ。失われた技術ではあるが、
独特の味があり、今でもファンは多い。アニメを見ただけでは
解らないと思うが、そういう背景が作品の後ろにはあるのだ。
当時のパソコンは、ウインドウはないし、マウスもソフトを
組まなければ使えないという、何でも自分でやらなければいけない
不自由さがあり、また、ソフトウエアも高価すぎるので自分で
使う物だけを使うという様な時代であった。でも、それ故に
機械の隅々までをしりつくし、遊び尽くす楽しみを知っていたのだ。
Windowsで得た物と同じくらい、失った物も大きいのである。
だから今でも、レトロパソコンのマニアが居るという事も、
理解して頂けるのでは無いかと思う。
その昔、私がイベントで発表した動画に、パソコンの歴史の
ダイジェストを描いた物があります。ちょっと偏った内容ですがw
そういった背景を知ると、16ビットセンセーションは、
より楽しく、少し切なく楽しめるのです。