神経症でもケセラセラ

神経症でもケセラセラ

神経症気質をもつ30代女性の、人生の記録。神経症発症からすでに14年。これまでの出来事と現在について。

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先生にも、看護師にも、「真面目すぎ」といわれた。


真面目といわれるととても傷つく。

ほめ言葉で言われることがないから。


真面目の何が悪いの?

真面目なことはそんなに恥じなければいけないことなのだろうか。


私は自分の長所だと思いたいし、思ってきた。

はっきりいって、私から真面目をとったらほとんど何にも残らないんじゃないか。


たしかに、真面目な部分が、病気の発症には関係なくはないだろうと思う。

でも、性格は変えられないっていったのは、先生でしょ?


真面目を否定されると、自分のすべてを否定されてるような気持ちになる。

じゃあ、どうなれっていうの?自分を全面リニューアルしろっていうの?


私は自分の真面目なところを誇りに思っているし、なくしたいとは思わない。

でも、真面目といわれて傷つくということは、心の奥底では信じ切れていないんだろうな。


私、何か変じゃないかな、真面目すぎるところが、周りから見たらすごく気持ち悪く映っていないかな、ちゃんと普通に見えてるかな


いつも、人と接してるときに頭の右上くらいにいつもこれがある。


私はいつも、自分を、人の目を通してしか見ていない。

だから、ほんとに自分がしたいこと、好きなこと、ほんとの気持ち、今この瞬間のこと、そういうのが見えなくなってる。


どうやったら、人の目を通してじゃなく、自分のことを見られるだろうか、自分にOKがだせるのだろうか。





なんか、最初に書こうと思ってたことと違うこと書いちゃったな(笑)

邪魔だ。

この気持ちがあるせいで、いろんなことにフィルターがかかる。

この気持ちがなければどんなふうに見えていたんだろう。どんなふうに感じたんだろう。

この選択を、しただろうか。


邪魔だ。

会うたびに心が揺さぶられる。

こんなことならいっそ、出会う前に戻りたい。

平穏だけど不安定で、灰色で、希望がない世界のほうが。

無駄で無意味で、同じ大きさのむなしさを連れてくる期待が、今は恨めしく思う。


いつか、これでよかったんだと思えるだろうか。

いつか、この邪魔な感情を超える大きな感情がやってきてくれるだろうか。


この感情がなくてもいい自分に、早くなりたい。