脱プラスチックの動きが世界中で進んでいます。ずっと関心を持って追いかけているテーマですので
何回かシリーズで思っていることを書き留めておこうと思います
(そして、たぶん競馬の話にはつながりません)
その1では 年齢がばれてしまいそうですが、子供の頃の話を書いてみます
わたしは子供の頃 大阪の下町に住んでいましたが、歩いて10分足らずのところに商店街がありました。
今と全然違うのは、スーパーマーケットのようなお店はなくて、小さな商店に細分化されていたことです。具体的には、卵屋、野菜屋、果物屋、豆腐屋、肉屋、魚屋、乾物屋、牛乳屋、酒屋など、食料品だけでもたくさんの専門店にわかれていました
一番思い出深いのは卵屋で、「卵4個ください」というと卵屋さんは電球の光に卵を順番にあてて
、茶色い紙袋に卵を4個いれてくれました。なんのために電球の光に卵をあてていたのか今でも知りません(子供の頃はひよこにならないか確かめていたと信じていた)し、当時は今では当たり前の10個入りや6個入りのプラスチック容器はなかったです
全然覚えていないことは、母親がどうやって 買った魚や豆腐を持って帰ってきたかです。よくテレビで観るような鍋を持参するようなことはなかったはずですが、当時はプラスチックの容器もありませんでした。
肉は竹の皮のようなところに包まれて持ち運びしていたような記憶があります
一方で、家のごみ箱はセキスイ製の青色でプラスチックでできたもので、しっかリフタができました。ずっと家の外に出されていましたが、カラスの被害にあうようなことは一度もなかったはずです。ただ、今のように45Lのプラスチックのごみ袋はなくて、いろいろなごみをこの青いごみ箱に丸投げしていたのではないでしょうか?(やや記憶があいまいです) なので今では考えられないぐらい、ごみの臭いが街中にただよって ハエもたくさんいたと思います
そして、紙のごみ(なかでも手紙やはがきなど)は父親がのりやおかしの入っていた一斗缶で燃やしていたと思います
この一斗缶では吉本新喜劇の島木譲二さんを思い出す方がいるかもしれません
話はそれましたが、今日 何が言いたかったかと言いますとわたしの子供の頃、プラスチックは
セキスイのごみ箱以外では思い当たらないということで、今ほど生活に密着していなかったということです

