こんにちは
今日は、最近考えていた事を書いてみたいと思います☺️
認識している願望
欲しいもの
操る感覚
手に入れたから、不幸になる事もある
という事を知りました。
死にたい時は、真夏なのに、ものすごく寒くて
絶望感というものは、時に死ぬ事が光に見えたりもしました。
人との幸せ、
その為に生きているのかな
1人では絶対にやって来れなかった。
友達の事を恋しく思います。
大事な事は、問題は人でも何でもなくて、この現実を生きる、変わらない毎日を、この体を、生きていく覚悟。
意図せず、それが変化なのだという事を。
いじめられていたら、人にはそんな事勧めませんが、私の場合、そんな中、ちょっとずつ楽しく思える私になれるように努力する、反省する、泣く。
これは、私がうつから立ち直った道筋でした😅
共鳴する感覚というのは、他では絶対に感じる事のできない、お金では買えない、魂の財産だと思うんです。
もしかしたら、手のひら一つでその時があるのかもしれないし、
音楽を聴いた向こう側かもしれないし、
おしゃべりの楽しいひとときかもしれないし、
怒りの向こう側にある愛と調和かもしれない。
私という概念がなくなった時、人や誰かを思う時に、人智を超えたものに手を合わせていました。
自分で言うのも何ですが、元々はそうではなかったと思うのですが、優しい仮面に隠したものすごく冷酷な一面を持った自分がいました。
うつになり、また時期が重なった亡くなった父の闘病、苦しんだ先に、親子、小さな頃からの確執が溶けてお互いに優しい気持ちを持ち直せて、亡くなりました。
その事に、感謝しています。
私の場合は、人に対して相手がどうであろうとも
全方向を祈っている自分を通せる強さ、優しさ、それを感じ合えたときに、お金では買う事ができない
スッキリ生きているスマイルとなるのでした。
今回はこれで終わりにします✨
読んで頂きありがとうございます✨
