病室に戻っても咳は止まらなかった。ベッド脇のゴミ箱は、すぐにテッシュで山盛りになった。
苦しくて食べれないので、その日の夕飯は断った。
病室は大部屋。同室のおばあちゃんたちの話し声が聞こえてくる。
…看護師さん、呼んだほうがいいかね。
…だめよ。それぞれ担当が決まってるから。違う人に言っても何もしてくんないよ。前にも同じようなことがあったけど、言っても何もしてくれなかったんだわ。
…喘息かしらね。若いのにかわいそうにね。
結局、一晩中ずっと咳が止まらなくて一睡もできなかった。
……………
朝になりベッドを囲うカーテンを開けると、ひとりのおばあちゃんが“待ってました”とばかりに声をかけてきた。
おばあちゃん
大丈夫かい?少しは、良くなったの?
私 おかげさまで。咳、うるさかったですよね。すみませんでした。
おばあちゃん
いいのよ。ここはみんな呼吸器の病気なんだから。アタシも来た日は喘息と肺炎で咳が止まらなかったのよ。お互いさま。
声をかけてくれたおばあちゃんは93歳。
なかなか良くならなくて、もう2ヶ月近くこの病院に入院しているそうだ。
看護師さんからレントゲン撮影をするように言われ、車椅子で向った。
撮影後、部屋に戻ろうとすると技師さんが看護師さんを呼び止める。
技師 panさん、
気胸をおこしてますよ。
……………
処置は、主治医と外科の先生がしてくれた。検査の際、肺の中の組織を取るのにゴシゴシ擦り過ぎて気胸をおこしてしまったようだ。
胸腔ドレナージで、萎んだ肺を膨らませる。麻酔をされたのにグイグイと押される感覚があり、あー今穴を開けてられているんだと思うとこわかった。
主治医は傷痕が目立たないようにと、細い管を選んでくれた。おかげで今はほとんど痕が残っていない。
体の右側と機械が管で繋がった。
歩く時に不便だが、呼吸はとても楽になった。
……………
次の日、家族が呼ばれ検査の結果を告げられた。
夫はどうしても都合がつかなかったので、両親が来てくれた。
・まず、アレルギー性の肺炎ではないこと。お薬手帳を確認しても、あれだけの期間ステロイドを使って肺炎が治らないわけがない。
・喘息でもないこと。そもそも、大人になって発症するのは極めて稀なことらしい。
・CTの結果、右側の肺のリンパ節に腫瘍が見つかったこと。他にも縦隔のリンパ節に複数腫瘍があること。そして、この場所はレントゲンには写らないことも教えてくれた。
・腫瘍が肺を押して無気肺になっていること。また、そのせいで心臓に負担がかかり心拍数が上がっていたこと。
・無気肺で通りが悪くなった部分が繰り返し肺炎をおこしていたこと。(空気が通らないので細菌が溜まるらしい)
・血液検査の腫瘍マーカーが異常値を示したこと。
・でも気管支鏡検査では、悪い細胞が見つからなかったこと。
主治医
今のところサルコイドーシス、悪性の腫瘍、悪性リンパ腫が考えられますが、腫瘍マーカーの値から悪性腫瘍である可能性が高いです。リンパ節の腫瘍は他から転移したものかもしれないので、原発巣がどこなのか詳しく調べなければなりません。CTでみたところ、婦人科系のような気もします。
肺がんだとしても、panさんは30代の女性で非喫煙者なので、遺伝子変異がある可能性が高いと考えています。いずれにせよ、若い年齢のがんは徹底的に叩かなければならない。
無機肺で過ごしていたなんて、この数カ月panさんは本当に苦しかったと思います。
先生は遺伝子変異の種類や、もし陽性だった場合には飲み薬で治療ができることも教えてくれた。
悪性腫瘍の可能性が高いと言われショックだったが、この半年近くの不調の原因が見えてきて少しホッとした。でも後ろに座っている両親に申し訳なくて、まともに顔が見れなかった。
喘息ではないと言われたことはショックだった。
がんと喘息を間違える?そんなことってあるのかな。それに今まで受けてきた治療がまったく意味のないものだったなんて!
その頃はステロイド治療によってムーンフェイスになり肌荒れも相当酷かった。
しかし、主治医に言わせるとステロイドもまったく効いていなかったわけではないらしい。
腫瘍に効いて、ステロイドを飲んでいる期間だけ少し呼吸が楽になっていた可能性もあるとのことだった。
なんにせよ、どうにかして組織を取らないと診断ができない。また気管支鏡検査をして、今度は縦隔のリンパ節から組織を取ると言われた。
心臓や大動脈に近くリスクが高いので、今度は全身麻酔でするそうだ。
生検は外科手術になるのでスケジュールの関係で、すぐには受けられない。2週間ほど空くので気胸が治ったら一度退院し、別の病院でPET検査を受けてくるように言われた。
長く留守にしていたので、病室に戻るとおばあちゃん達が心配して声をかけてくれた。
私は、大丈夫だったよー。としか言えなかった。
肺がんの5年生存率を調べた。
ステージはわからないけど、リンパ節に転移があるのは間違いない。また、自覚症状が出る頃には既に進行している場合が多いと書いてあった。
予後不良。私はかなりの確率でおばあちゃんになれないことを知り、布団を被って泣いた。