2015.2.11.wed.
思い起こせば、
数を観れなかった事が
悔やまれた。酷だぜAB班(T ^ T)
AB両方観ることによって
それぞれの感動が有る。
しかし、自分の様な
観劇幼少さな者には
何方か片一方の方を
観続ける方が良かった。
笑い、涙、絶句、恐怖、
怒り、汗、質量、努力、
思い出す様々な場面は
両班の融合でしか補ない。
トドのつまり、好みでしか
ないのだ。
例えば比較をしたとして、
冒頭の藤堂と山南の両立
Aは歌舞伎の如く口早に決め!
Bはさも人間の如く表情を持たせた。
ドチラがどうのなんて、比較しようもナイ。
やはり、好みの問題だ。
その場の雰囲気で突然変化する表情。
修羅場によく見られるアレだ。
アドリブとは思わない。
役者とて一戸の人なのだと思わせる。
伊東と妻うめの会話。観ていて怖かった。
初日Aの伊東は冷酷さが際立った。
ラス前のBでは、手をあげた事への葛藤を
表現していた様に見受けられる。
うめはトコトン隷属的な表現をしていたが、
「昔はあんなに…」の場所がその時の心情に
左右される声色になり、その言葉に対しての
伊東の反応が変わる様に見えた。
両者ヒステリック表現の極み。
ボクは斎藤一の人物像を知らない。
それ故に馳せ蒼舞台を通して、伊東が
信に足る事となった理由がわからなかった。
伊東曰く、藤堂越しに人手不足を謳い、
陣中に土方と山南以外の人手無しとレッテルを
貼ったからなのか。
剣一筋の馬鹿と侮っていたからなのか。
信義に厚いと称したにも関わらず、だ。
冷静な時にはトコトン冷静な伊東も
有頂天になって仕舞った時期があったに
違いない。
ま、今回は斎藤一物語では無いのだ。
其処まで掘り下げる必要もナイのかな。
永倉、原田、藤堂の3バ・・・んうん。
3羽烏市井の下りは、両方とも
面白かった。コメディタッチだし。
好みはBよりだ。クサ過ぎて笑っちゃう。
露骨過ぎて苦笑!絶句「・・・・・・」
の表現が絶妙(≧∇≦)
沖田が山南切腹ラストに振り下ろす剣
コレは最初に観た方が印象的なのは
仕方がない。
苦渋の選択、精神の成長の表現を
何日も芝居を打って来たBと、
緊迫感の中、初めて客前で打った
初日とでは比較対象にならない。
よって、この場面だけはAに
軍配があがるのは必定だ。
剣技殺陣アクションについては
申し分なく、魅せる所は過分に頂戴!
馴れ合い的な部分もあったにせよ、
大立ち回り的に拡大していった。
幾人かは舞台と客席の仕切りから
振り下ろす刀が割っていた。
迫力も変わるなら客席の危険度も変わる。
もし飛んできたとしても、殺陣アクションに
魅了されている時、咄嗟の判断が
鈍っていたはずだから。
小さく纏まるより全然良いねからです。
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千秋楽は別モノ、と良く称される。
既に馳せ蒼の演者達を好きになっていた
からこそ許される場面が多々あり。
コメディタッチ部分にノミ許され様と
心の葛藤が有った。
AにもBにもコメディ部分でない話を
止めてしまうアドリブがあった。
とても残念だ。だからこそ千秋楽は
その場の空気に身を委ねた。
そうしなければ席を立っていた事だろう。
起承転結!全てを総ざらいしてこそ
藤堂無上の最後に感動し涙する。
暗転で心が簡単に切り替えられる程
ボクは観劇熟練者では無いのだ。
最後の最後!大千秋楽に泣くことの
出来なかった自分が情け無くおもう。







