猫のいない家 | 高橋貴子の飛常識なパンお菓子料理教室開業集客:横浜東京

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【猫のいない家】

今日、22年ぶりに猫のいない家に帰ってきた。

猫のいない家ってこんなに静かなんだって初めて気づいた。

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うちのにゃんこ達は2匹ともお出迎えが好きな猫だった。
うちは1階のマンションで私たちは、主に庭から自宅に出入りする。

庭に面した大きなリビングの窓には、帰りを待ちきれないにゃんこたちが
そわそわ、うろうろしている姿がシルエットで見えている家に帰っていた。

22年前から4年前までは「そらとうみ」がそろって出迎えてくれていた。
4年前からは「うみ」だけのお出迎えになった。

そして、今日は誰もいない静かな家に帰ってきた。

いつもいる気配が無いのはやっぱり慣れない。

それはそうだ。

22年も続いた習慣がパタッと途切れた初日だから。

必ず家に帰ると出迎えてくれていたメンバーがいないのは、
寂しいという感傷よりも、違和感に近い。

雨が降っている。
こういう雨は涙雨っていうのだろうか。

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「ほら、お顔が優しく笑顔ですよ」

と焼き場の方に言われた。

あぁ、そうか、うみは笑顔だったんだ。
よかったとほっとした。

おそらく彼女が最後に見た風景は
私の寝顔だったはずだから。

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昨日の夜は、私の中で予感めいたものがあって、
北側の冷たく暗い部屋に行って寝ようとする彼女から
離れない方が良いような気がしていた。

もしかしたら一緒にいれる最後の時間かもしれないという予感。

北の部屋に自分の布団を持っていって添い寝した。

ゆっくり呼吸する上下の動きを感じながら、
頭や、腕や足や体をなでていた。

安らかでいられるように祈りをこめながら。

撫でながら肉球を触っていると、だんだん温度が低くなり
冷たくなっていくような感じを触感から感じて、涙がこぼれてきた。

撫でながら命の砂時計の砂が静かにさらさらと
流れ落ちるような音を聞いていたように思う。

それでも、喉を触ると気持ちよさそうに
ゴロゴロと喉を鳴らすごきげんな音を聞いていたら
その音に癒されていつしか私も眠りに落ちていた。

意識があったときに見た時間の記憶は02:30だった。

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ここ1週間の朝の日課は、朝一番でうみのところに行き、
呼吸をしているか、していないかを確認すること。

普段私は寝るのが遅いこともあって、
自分で05:00台に自然に起きるのは
出張時以外あまりない。

でも今日は勝手に05:30に目が覚めた。

そして、今日の朝も、目の前にいるうみの姿に目を落とす。

―――見た瞬間に、うみは旅立ったのだと理解する。

うみという意思を持った猫の体はそこにはなく、
安らかな顔をして横たわる猫の形としてそこに存在した。

そらの時もそうだったけれど、
さっきまで動く、自分の意志を持った猫が
猫という名前の入れ物だけがそこに残る感覚は
やはり不思議な感覚だ。

生と死の境界線。

命のともし火が消えたことを実感する恐ろしいほどの静寂。

頭ではわかっているのに、感情が受け入れてくれない。

それを自分で自覚するために、体に触れてみる。
撫でてみる。

そして何も反応が返ってこないのを確認して、
初めて感情も"旅立ち"を理解することになる。

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私は声をあげて泣くのはあまり上手ではない。
昔からそういう性格だった。

声を出して泣くと感情のコントロールができなくなるのが怖いから、
よほどのことがない限り声を殺して泣く人だ。

だけど、旅立ちを理解した瞬間に大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちて、
自然と声をあげて泣いていた。

17年という年月はそうたやすいものではない。

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信じる信じないは人それぞれだと思うけれど、

2匹の猫たちは私の意志をきちんととらえる
アンテナを持っていたように思う。

私の強い思いは、良き悪しきにかかわらず
猫たちに届いてしまうようだった。

4年前のそらの時は初めての経験ということもあって
私もかなり混乱していた。

食事も水も食べなくなって、衰弱していく一方の彼を見ていると
切なくて悲しくて、なんとか1日でも多く生き延びて欲しくて、
「何とかごはんを食べて欲しい」という気持ちでいた。

水だけでなんとか7日生き延びていたとき、
その体を抱いて

「どうして食べてくれないんだろう」

と独り言のようにつぶやきボロボロと涙を流す私を、
彼はじっと見つめていた。

そして、その3時間後に奇跡が起きる。

もうこのまま逝くのではないかと思われた彼に劇的な変化が起こる。
突然何かを思い出したかのように、ご飯を食べ始める。

そこから3ヶ月 12月29日の年末まで
彼はあちらに一度逝きかけた体を
こちらの世界に引き寄せ、「生きる」という選択をして
私たちのそばにいてくれた。

私たちが、後悔のない3ヶ月をすごせるように
あちらにいくのを先延ばしにする決断を
そらは意思を持って選択したのだ。

その決断はどれほどの決意だったのか
私はとある獣医さんの言葉で知ることになる。

彼が旅立ったあと、友人の獣医さんがこういっていたと聞いた。

「4キロ近くあった体重が1.8キロの骨と皮のような状態になって
いるにもかかわらず、強い"生"に執着して生きようとしたのは、

3ヶ月前にそのまま"死"を選ぶことよりも
つらく苦しい道を自ら選んだことになる。

通常なら、猫がその状態で生き続けるのは奇跡に近い。
それでもその人に寄り添いたいと思ったから復活したんだね。
それぐらいその飼い主さんを愛していたんだね」と。

その言葉を聴いて私は彼に愛されていたことを知り、同時に
私の強い願いがそういう選択をさせてしまったのかもしれないと、号泣した。

最後は口をパクパクしながら必死に何かを伝えようとしていて
よく聞き取れなかったけど、"にゃあ"と満足そうにいわれた言葉には
「ありがとう」といわれたように私には聞こえていた。

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その経験があったので、
うみにもしものことがあったら、
なるべく苦しまずに安らかに眠るように、ということは私の願いになった。

もちろん、最後まできちんと見てあげて見送りたいという気持ちも。

9月は横浜にいない時が1/3ある月だった。
だが、私が横浜にいる1週間で、彼女は旅立った。

彼女の最後は自分の意思で食べることも水を飲むことを拒否していた。
その分静かにゆるやかに、眠るように、命のともし火が消えていく。

うみもまた、私の意志を感じて
そういう道を選んだのだろうか。

そらもうみも、それぞれ違う状況だったけれど、
私たちが後悔しないような旅立ちを選んでくれたのだと思う。

親孝行な子たちだったな。

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「猫」(ねこ)という言葉の由来は「寝子」という言葉から
生まれたらしいという話もあるが、
うみは特に、寝ることと食べることが好きだった。

寝姿は本当に天使のような寝顔で、私たちを癒してくれた。

きっといまごろはそらと一緒に遊んでいるのか、
いや、寝てるかもね。(笑)

好きなだけ寝て、好きなだけ好きなものを食べて
過ごしててね。

そして、いつかまた会おう。
そしてまた一緒に遊ぼうね。

それまでの時間、そらと仲良くしていて。

2017年9月22日 横浜にて