近年、親の介護をする知り合いが多くなってきた。状況は様々であるが、仕事しながらの介護は大変そうだ。また、世話になった高齢の方々も施設に入所したり、お亡くなりになる人も増えてきた。

最近、高齢者に対して批判的意見が多くなったと感じる。私は幼少期から祖父母と同居していたので、歳を重ねた人の長所や短所を知っているほうだと思う。近所の人たちも、定年を見据えて移住して来られた方がほとんどだ。したがって私が生まれた頃のこの町の平均年齢はかなり高かった。

幼稚園入園前の頃は、一人で散歩していると、必ず近所のおじいさんやおばあさんの誰かに声をかけられて、家に連れていかれるとお菓子やジュースをご馳走になっていた。今なら幼児が一人でフラフラしているなど考えられないだろう。のどかな時代だったと感じると同時に、幸福な幼少期を過ごせたと思う。

今も、近所には元小学校の先生で90歳をいくつかこえたおばあさんが一人暮らしをしている。毎週二人の娘さんが代わる代わる来ている。この娘さんたちは若い頃、私の祖母の華道教室で活け花を習っていた。先日も、母が世話になっていると高そうな和菓子をいただいた。食べて見ると高そうなだけでなく旨かった。

昔、立て替え前の我が家の居間に、こんな言葉の額が飾ってあった。

子供叱るな来た道じゃ

年寄り笑うな行く道じゃ

名言である。


夏休みが終わると必ず学校に行くのが嫌だ、辛い、怖いというワードがメディアに登場する。そして頭が良くて地位もあり偉いお人や、いかにもわたくしは子供のミカタですよーの雰囲気の人が、行きたくないなら行かなくていい、不登校も個性だからと言った論調でやさしくおっしゃいます。

なんと生温い世の中でしょうか、いやいやそうじゃないだろう。今はいい。行きたくないなら行かなくても昔みたいにナマケモノのレッテルを貼られることもなく、好きにしても何の支障もないだろう。しかし必ずそんなコドモの庇護者の命は尽き、理解者は何処かへ行ってしまう。結局最後は自分が責任をとらなければならない。以前、人事の仕事で中途採用の面接をしたことがある。応募してきた若い女性はハキハキと受け答えをし、しっかりと意見も述べていた。選考の結果採用となり、明日から来てもらうことになった。

さてその当日の朝、その女性の母親から電話があった。体調がすぐれないから出社できないという。本人が話せないほど具合が悪いのかと私は訊いた。すると、母親はすまなさそうに言った。多分このまま退社になると思います。おいおい!どういうことかと詳しく訊いた。何でもこの女性は中学高校と不登校で、通信制に通っていた。大学はちゃんと卒業したが、就職活動でつまずいて引きこもりがちになったという。ダメだこりゃである。入社手続きや職場配置などいろいろ動いたこのオレは何をしてきたのか。どっと疲れましたわ。

宿題やテストがない、運動会は順位をつけない、タブレットが先生など、日本はお先真っ暗ですな!

最近は電車内で文庫本を読むことがなくなりましたな。かといってスマホをいじることもまずありません。目をつむって過去の恥ずかしい出来事を振り返り、自己嫌悪に落ちるのを楽しんでおります。

本は専ら図書館で読んでいますわ。買えばたちまち書棚に本が溢れてしまい、処分するのも勿体ないし、置いておいても自分が老いてしまえばおいおいゴミ屋敷へと拍車がかかります。

図書館へは予定のない休みの日、朝10時から夕方5時くらいまで、どっぷり浸かって読んでいます。だいたい単行本一冊と趣味本パラパラ二冊程を目安にしております。

最近は、司馬遼太郎の豊臣家の人々、堂場瞬一のポピュリズム、柚月裕子の教誨、戦国武将伝、道尾秀介の球体の蛇などを読破いたし候。

司馬遼太郎のそれは、今や古典となった感があります。それでも豊臣に関係する人物描写は引き込まれます。やや三成に厳しいのが私には納得できかねます。

戦国武将伝では、果たして毛利元就の三本の矢に関しての解釈には爆笑してしまいました。三本なんか簡単に折れるみたいですな。

人の上に立つ者の苦悩と、これから立たねばならない者の苦労。権力者の死を利用する輩の策略。人を殺めるということ。嘘をつくということ。理想と現実など、本はさまざまな人生を教えてくれます。これがみんなタダで読めるんですから利用しない手はありません。