煙草は吸わない。酒を飲む。

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2016年6月21日。この世で最も大切な人が、この世から消えるなんて有り得ない、と信じていた。

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前回、最後に書いた2か月後、私は死んだ。

あれが、私の二度目の死だったと思っている。三度目の正直で、次に死ぬのはきっと本当の臨終のときであろう。

 

6年前、心が死んだ。その4年後、次は体が死んだ。体が死にたいと願った。それは、私にとっては最大のヘルプであり、叫びであった。

助けてくれ。助けてくれ。どうか私を助けてくれ。

誰にもどうしても言えなかった最大限のタスケテは、精神科医から見捨てられ(たと感じ)、急な断薬で更に身体を痛めつけるという最悪の事態を招いただけだったが、結果としては良かったと思っている。

あれが無かったら、私は未だに薬漬けでうつろな目をしていたかもしれないのだから。

あれは、私の私による私自身へのタスケテだったのかもしれない。

 

もう書くことは無いと思っていた。

いろんなことがあり過ぎて、何を書いて何を書かなくていいか分からないほどの時間が過ぎてしまったから。

あまりにも多くの時間が過ぎてしまったから。もういっそ、何も書くまいと思っていた。

 

だけど、今、書いているのはやっぱり誰かに伝えたかったから。

 

死別も悲嘆も人それぞれで、絶対に同じことはありえない。

だから、理解できるとも救いになれるとも思わない。

それでも、ただ同じ経験をした人間が生きている。そのことを伝えたい。

 

あの頃、死別経験者のブログをむさぼり読んでは、まだ生きているなんてどうして?どうして生きていられる?と、ずっと思っていた。死別何年目です、というのを目にするたび、自分もそんなに生きてしまうのか、と恐ろしくなった。

生きている自分がやるせなかった。どんなに心がそうしたくないと願っても生きながらえる肉体を醜悪だと思い、憎みさえした。

 

それでも、6年が過ぎた今、私はまだ生きている。

そして、生きている自分、すげーな、と少しだけ思うことができるようになってきた。

 

誰にでも必ずそういう時がきます、と断言などできない。

必ず時間が解決します、とも言えない。

 

ただ、6年を経て、私はまだ生きています。

そのことを書いてみようと思った。